差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2015年11月3日火曜日 23:03
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 三国温泉(大阪市淀川区西三国)

ナカムラです。

今日(8/28)は、「三国温泉(大阪市淀川区西三国)」に行ってきました。三国駅(阪急宝塚線)から、0.7キロ、8分くらいです。

6泊7日の夏のツアーも最終日。心斎橋のホテルを出てなんば方面に歩く。道頓堀に面する村野藤吾建築であるコムラード・ドウトンビルを見る。全館ほぼ飲食店のようで、オリジナルの箇所を探しながら、何れの店も営業していないなか10階まで階段を昇って行く。

しかし、最上階近く”村野の曲線か!”というところで警備員に足止めされてしまった。まぁ、不審者以外の何者でもないので手短に訪問の目的を言い訳して退散する。

黒門市場では、外国人観光客の多さに圧倒される。魚屋の兄ちゃんが英語で鮪の解体ショーをやっている。図らずも道すがらで現れてきた荘厳な堺筋の高島屋東別館(旧松坂屋大阪店/昭和43年閉店)に出会う。

この建物は半世紀も前に閉店し、そのまま高島屋の事務棟として利用されている。客におもねる改装から逃れ、タイムカプセルで封印されていたように、エントランスホールなどにデパートが華やかだった頃の雰囲気が残っている。館内の撮影は警備員に断られてしまったものの、3階に入る高島屋史料館を見学(入場無料)することが出来た。

界隈の”日本橋”は大阪の電気街。「東京真空管商会」なんて店もあって、秋葉原よりも狭い地域だからかも知れないけど、パーツ屋などが並ぶ昔の電気街の面影が残っている。

近くの「旧日本橋温泉」にご挨拶。コンクリ煙突が聳える伝統的大阪型の銭湯。コインランドリーが営業していて、開店準備中の銭湯にしか見えないけど、6月末に暖簾を畳み、長い歴史を終えたと聞く。ここ20年ほどの大阪銭湯の減少振りには唖然とさせられる。減少数、減少率ともに東京を上回っているかも知れない。

朝食は、牛モツを炒り揚げた”油かす”が入った南大阪のソウルフード”かすうどん”。途中、千日前の「丸福珈琲」で休憩。東京の合羽橋にあたる千日前の調理道具街を歩いて、ランチはおばちゃん二人で切り盛りする小さな店でお好みと焼きそばを頂いた。大阪は庶民的な普通の食べ物が安くて美味しい。おそらくチェーン店は勝てないんだろう、東京よりもチェーン店が少ない。

さて、新大阪駅で荷物を預け三国温泉へ。最寄りは三国駅(阪急宝塚線)か東三国駅(市営地下鉄御堂筋線)になるんだろうけど、新大阪駅からも3キロ弱。距離をいとわなければ徒歩でアクセスすることも可能だ。

同湯に何度か電話を掛けたものの通じなかった。そういう銭湯も多いので、セカンド目的地を用意して向かった。

付近は車の通行も難儀する狭小の平屋の家並みが密集し、低い空を着陸体勢に入った伊丹空港への飛行機が轟音をたてながらひっきり無しに飛んで行く。

さらに、東三国駅方面から西の三国方向に直線的に延びる幅が広い道路が途中まで完成していて、同湯はその延長線上の道路予定地になっている。昨日説明会に出たという近くのおばちゃんの話では、府の予算が下りないので土地収容の時期は未定らしい。

三国温泉は土地収用の時まで営業するという噂を聞いていた。しかし、電話が通じないのは不安だ。道すがら、営業の有無をドキドキしながら向かっていた。

把握していた16:00の開店時間より30分ほど前に着いただろうか。既に開店していて、ご常連が出入りしている。セカンド目的地は電車を乗り継ぐなど、少々遠かったので安堵する。

何年か前に、三国中央温泉(廃業してた)、同湯、三国新温泉(住宅になっていた)と歩いたことがあり、周囲の町並みに溶け込む簡素で小ぢんまりした同湯の佇まいに惹かれた。やっと訪れることが出来た。

大阪銭湯特有の角型のエントランス。正面にモザイクタイルで「三国温泉」と記されている。高須温泉からの預かり湯らしい。

暖簾を潜るとそこそこの広さがあって、両サイドには向かい合わせにコンドル錠の下足箱が並び、番台裏には山と海の簡素な絵柄の絵付タイル絵がある。

番台への扉を開けると、意外にも天然パーマの中年の御仁が番台を努めている。枯れた外観で電話は不通。先入観で風前の灯火銭湯かと想像していたけどそんな気配は無かった。

脱衣所は、幅3間、半間の緩衝地帯を入れて奥行4間。天井高は2間強。太く縦に渡された桟に畳大の大きい天井板。質素な外観を裏切り、贅沢なケヤキ板が填められている。

さらに、男女境の鏡の上には幅2間はあるだろうか、よく見る擦りガラスの絵とは異なり、立体感を保ちながら繊細な彫り込みがなされた裸婦を描いた硝子絵。相方によれば、女湯は椰子の木や温泉マークが描かれた楽しい感じの絵になっているらしい。

狭い緩衝地帯に押し込まれた白磁のボウルが埋め込まれたタイル張りの古風な流しなどにも唸らされる。

島ロッカーは無く、外壁側と男女境の鏡の下にアルミ板鍵をロータリー式で使うおしどり錠のものが計72個もある。今でも結構風呂無し住宅が有りそうなロケーションだけど、昔は客が多かったんだろう。

表の塀の内側には狭いながらも前栽があったのかも知れない。しかし、客の多い時代に脱衣所の拡張スペースとして潰されたようだ。他の部分の造り込みからすると、小さいながらも凝った庭があったのだろうと想像が膨らむ。

また、便所が凄い。明るい時でないとわからないけど、上の硝子窓だけでなく、下部に木製桟の作り込まれた大きな明かり取りの窓がある。5燭の電灯が点る和風旅館のような便所は、小生が出逢った銭湯の便所の中で最も素晴らしいものかも知れない。オマケに、木製の古い扉が、オモリと滑車で自作した、のんびりと開閉する半自動ドアだった。

浴室は、小ぢんまりした外観なのに幅3間、奥行4間と普通に広い。さらに、奥壁の半分、幅1間半、奥行1間ほどが張出して次の間的になっている。天井は四角錐型で、中央の湯気抜きが窓ではなく、大きな鎧戸になっているのが古風だ。

床は大半が御影石敷き。モザイクタイル張りの男女境側は、グレーの小さな正方形とピンクの正八角形を組み合わせたものが平滑かつ緻密に張られている。全てが年代物だけど、全てが清潔に保たれていて、ぐっと来る。

狭小な住宅が密集しているからだろう。外壁側の窓が天井に近い、かなり高い位置にある。こんな高い窓だけど、夏草が這い上がるように茂って、透過光によるその緑色が浴室に美しく広がる。夏の昼間の銭湯の醍醐味を感じる。

浴槽は、縁や踏み込み段の部分が石で組まれたもので、奥壁から張り出した”花道”のように3槽が縦に連なる。一番奥の、奥壁に接した浴槽は座ジェット×2、その手前が主浴槽の深槽、一番手前が浅槽で、レモンの果実が金属の箱に入れられ、浴槽の縁に掛けられている。お湯は42度くらい。さほどの円やかさは感じないものの硬い程でもない。とても清冽なレモン湯だ。

ビジュアルは白いタイル張りの奥壁に、湖、白樺、和館を描いたモザイクタイル絵。側室的な拡張スペースの制約から、絵は男女境寄りに置かれ、それも掛け軸のよう縦長2:1の構図。有りそうで初めて遭遇する変わったタイル絵だった。

上がりは瓶入りの牛乳はなく、ビックルを頂く。今年の夏の暑さは一気に峠を越したものの今日は暑い。1日にどれぐらい給水しただろうか振り返っていた。

金曜日の16:10から17:00に滞在。相客は必ずしもご高齢の御仁だけでなく10人余り。この点も、東京の銭湯の口開けとは違う雰囲気だった。

地味なロケーションに素っ気ない程の外観。内部は派手さ皆無ながら、銭湯としての基本性能は勿論、ちょっと驚かされるものが幾つもある。銭湯好きにはこの素晴らしさが分かってもらえると思う。旧いものを大切に維持する印象に残る郷愁銭湯だった。新しい道路の延伸は何時になるんだろうか。

上がりの一杯は、新幹線の発車まで時間があったので、一旦梅田に戻り、一昨日に続き地下街の「大ざわ」へ。刺身などとともに、東京では見ない紅ショウガの天ぷらなどを頂く。賃料も安くはないだろう人通りが多い地下街。大阪人からすればもっと安くて美味しい店も多いんだろうけど、ふらっと入って、普通のものが新鮮で安く食べられる。少なくとも東京駅の八重洲地下街ではこうは行かない。

※小生としては未確認ですが2015.10.31.を以て廃業された模様です。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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              新大阪第一アッセンブリー教会
























                    三国温泉の直ぐ先の四つ辻。強く郷愁を感じる風景だった。




                 同上。かつては三国温泉に一番近い理髪店か何かだったのだろう。




















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