差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2004年12月25日土曜日 15:11
宛先: 銭湯ML
件名: 美好湯(奈良市福智院町)

ナカムラです。

今日(12/19)は、「美好湯(奈良市福智院町)」に行って来ました。
近鉄奈良駅から、1.3キロ、20分くらいです。

ふらっと、奈良にやってきた。
レトロで有名な奈良ホテルに泊まって、世界遺産の元興寺境内だったいわゆる「奈良町」の銭湯に浸かることが目的。
昨日のオフ会で町田忍さんに、奈良の銭湯について尋ねると、奈良の銭湯に外れはないよと。
「ドーラク(Vol7)」のレトロ建築銭湯の特集で、町田さんが「奥の横道/ぶらり奈良町銭湯巡り」を書かれていたので、切り取って携えてきた。

まず、駅裏の「大西湯」。
表で夫婦で掃除してたので、来意を告げ、外観の写真撮影を申し出る。
わざわざ中から、「大和路探訪銭湯めぐり(奈良県公衆浴場業環境衛生共同組合)」を持ってきてくれた。

奈良県の銭湯が、写真入りで紹介されている。
んー、大和高田市や五條市に、濃い銭湯があるではないか・・・。
歴史と文化の地、奈良県の銭湯は、抜けられないくらい奥が深そうだ。

修学旅行以来の東大寺に寄り道。
三月堂、二月堂、戒壇院と国宝級の仏像に手を合わせた後、奈良ホテルへ。

このホテル、東京駅や日本銀行の設計者である辰野金吾氏の設計。
「国家」の建築家が、明治42年に関西の迎賓館として建設したもの。
師匠コンドル設計の鹿鳴館の2倍の巨費を投じたというだけあって、木造ながら巨大なホテル。

著名人も多く泊まるのだろう、隣のテーブルにペギー葉山氏がいて驚いた。
同じ教室で政治学を学んだ?秋篠宮も何回か来ているらしく、写真が掲げてあった。
もちろん、父君、兄君も。

さて、美好湯。
地名もいわくありげだし、向かいには銘酒「春鹿」の蔵元がある。
女将の話では、現在の建物は、よくわからないけど昭和2、3年くらいのものとのこと。

小さいながらも黒瓦の屋根を持つエントランス。
そのすぐ後ろに2階家が続いている。脱衣所の上は、居宅という町屋風の造り。
煙突も銀色の細身のパイプというもの。雨よけの小さな笠が付いている。

下足錠は鶴亀。正面に傘入れがある。
戸を開けると、モスグリーンのペンキを塗った簡素な造りの番台。
同じく、モスグリーンのペンキを塗ったベンチがある。

脱衣所は、幅2間と狭く、奥行きは3間くらい。
天井は、2階があるので高くない。
床は、東京、横浜のような板の間ではなく、籐が敷き詰められている。

壁側に折鶴マークの板鍵が付いたロッカーが並んでいる。
その他、YAMATOのアナログ体重計、飲み物が入っていない冷蔵庫、簡素な神棚、水墨画かな煤けてるけど大きな額が架かっている。

浴室は、幅2間、奥行4間。
天井は、最高部が2.25間程度のドーム型。真中に四角い湯気抜きがある。
床が石張りになっている。表面はかなり粗いけど、感触はいい。
恐らく、80年近くを経過しているオリジナルなのだろう。

男女境奥側に、奥から1人用くらいのバイブラ、その手前に主浴槽がある。
主浴槽は、底から湯が出てるだけで、何の仕掛けもない。
さらに手前に、蛇口3つ、タイル張りの洗面台がある。

カランは、外壁側に8個、奥壁側に2個というL字型配置。
床から20センチくらいの高さに湯桶を置く台があって、カラン、その上に風呂道具を置く台があって、鏡がある。
今のスーパー銭湯のような作り。
カランはレバー式の赤・青で、「7」というマークが入っていた。

相客が3人ほどいたけど、カランには座らず浴槽の周りの1段の段差に腰掛けて、浴槽の湯を掬って身体や頭を洗っていた。

いわゆる「奈良町」をぶらぶら、近くに、「寧楽湯」と「奈良温泉」があった。














隣湯の「寧楽湯(奈良市芝突抜町)」。
どっちにしようか迷った。


奈良温泉


大西湯


東大寺の大湯屋(室町時代/重要文化財)
庶民も入浴できたと「今昔物語」に記述が残っているらしい。
共同浴場のはしりか?