差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2016年3月7日月曜日 21:36
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 武庫川湯(尼崎市大庄西町)

ナカムラです。

今日(8/26)は、「武庫川湯(尼崎市大庄西町)」に行ってきました。武庫川駅(阪神電気鉄道)から、0.6キロ、7分くらいです。

京都・河原町駅から阪急で梅田駅まで。阪急で大阪に行くのは初めて。淀川を挟んで阪急と京阪が併走している。気になって経緯を見ると、阪急京都線はともとは京阪系列が建設した京阪本線のバイパス的新線だったようだ。戦後のドサクサで阪急に渡ったことについては、何やら怨念が潜んでいそうだ。

終着近く、十三駅を過ぎると”海”のような淀川河口を渡る。東京も縦横に川が流れていた都市だけど、大阪は今も東京よりも”水”が近いように感じる。

先ずは、大阪駅前第一ビルの「マズラ」で喫茶部。往年は輝いていたのかな。さらに、噴水があるロビーを見るために第二ビルへ。でも、噴水は節電で動いていなかった。駅前の老朽化した再開発ビル。新橋駅前第1や第2ビルに似た雰囲気を感じた。しかし、新橋の方が整体やらマッサージ店ばかりが目立つけど活気があるかな。

そう、大阪駅前第三ビルと第四ビルの間の地下通路に1990年代の後半まで「梅田壱番湯」という銭湯があったらしい。ビルで勤務する人が相当数居ただろうし、それなりに賑わっていたと聞く。どんな銭湯だったんだろうか。

さて、初めての阪神百貨店で、阪神タイガースの猛虎マークがプリントされた灘・白鷹のワンカップを買って、阪神電車で武庫川駅に向かう。私鉄は路線で乗客の雰囲気が大きく異なる。梅田から阪神電車に乗るのは初めてだと思う。

跨線橋上という意味での”橋上駅”は数多くあるものの、武庫川駅(阪神電鉄)は武庫川に架かる鉄橋がそのまま駅ホームになっている珍しい駅。ホームから見える増水した川の畔では、盆踊りと露天商の準備が忙しそうだ。

辺りは旧大庄町。昭和17年に尼崎市に合併されるまで漁業や農業を生業とする豊かな村だったようだ。この大阪湾岸を、川崎から鶴見の埋め立てで成功した浅野財閥系の東京湾埋立と山下汽船との共同出資の尼崎築港(昭和4年設立)が埋め立てを行った。発電所、製鉄所、戦闘機”紫電改”を造った川西飛行機(現新明和工業)などが誘致され、一時は日本一の生産を誇った阪神工業地帯として大きく発展して行く。

先ずは、村野藤吾設計の旧大庄村役場(昭和12年築)を求めて建築探訪。もともと畑の道だったのか、不規則に屈曲し、方向感覚が無くなる。時折、石垣のある邸宅や洋風の古い門構えの屋敷があったりして、この地域の由緒を感じさせられる。

程なくして、今は地域の公民館になっている旧大庄村役場。村野は生涯で300を超える建物を設計。戦後の建物ながら広島の世界平和記念聖堂(昭和29年)は重要文化財に指定された。この小さな旧村役場は氏の40歳台半ばの仕事。少し回り道して建築家になり、渡辺節建築事務所で10数年勤めあげた後の独立後の初期の貴重な建物。そして初めて設計した庁舎でもあった。

※村野藤吾は、渡辺節建築事務所時代、大阪綿業会館(重要文化財/昭和6年)の図面責任者として設計に深く関与している。国家の建築家辰野金吾を別格とすれば、複数の重要文化財の設計に関わった希有な建築家だ。

旧大庄村は室戸台風(昭和9年)で大きな被害を受けている。村役場の建設は景気浮揚をも目的とした復興事業だったようだ。村の年間予算の半分という破格の建設費が投じられ、完成当時”日本一の村役場”と評判になったらしい。

勤勉にして次なる洪水を避ける願いからだろうか、この建物には星や鳩、オリーブなど、ノアの方舟の故事をモチーフにしたと思われるデザインがちりばめられている。

氏の特徴となる螺旋階段は組み込まれていないものの、階段には独特の曲線がみられる。また、積み木を重ねたような建物背面の立体の積み方や、色合いの渋いタイルに、氏の設計の特徴を読み取ることが出来る。

公民館の方も優しく、終業時間が過ぎているのに屋上や塔屋までも案内してくれた。延床面積1,500平米ほどの小さな建物だけど想像していたよりも見応えは十分だった。

この建物が縁となったのか、村野は25年後に尼崎市役所(昭和37年築)を手掛けている。歩いて3キロ弱。見学するつもりだったけど、お風呂の時間になってしまった。大規模な市役所見物はまたの機会にして、ご近所の武庫川湯へ向かう。

さて、武庫川湯。何とも形容し難い細くて複雑な路地の奥にある昭和元年築の切妻屋根の銭湯。コンクリ煙突を持ち、釜場だけでなく浴室の外壁も煉瓦積みになっている。

建物は細い路地に平行して建ち、路地から回り込むように入口がある。やはり暖簾は偉大だ。看板などは無いものの、路地の奥まったこの建物が銭湯だと間違えることはない。暖簾の脇には、屋号が記された木の表札が掛かっている。

入口を入ると低い格天井の広いエントランス。ツバメ錠の下足箱、エンゼルフィッシュ錠の傘を突き差す式の傘入れ。さらに定休日の看板など、珍しい物やレトロな物で満ちている。

番台への扉を開けると、眼孔鋭い三代目だという大将が高い番台に座っている。

脱衣所は、幅3間、奥行4間。天井高さは2間ほどと高いものの、石膏ボードの天井板や木目プリントの壁など、昭和中期的な新建材で更新されている。唯一、男女境の周りがゆらゆら硝子の鏡を含めオリジナルで残っている。床は籐敷き。

ロッカーは外壁側にずらりとおしどり錠のものが並ぶ。ONOのアナログ体重計には流麗なローマ字でオノ・スケール・アンド・メジャーズとあった。ONOの体重計は時折見かけるけど、この表記は初めてかも。なかなか格好いい。

浴室は、幅3間、奥行4間。天井は四角錐型で中央に湯気抜きがある。壁は白の中判、上部は天井まで小豆色の小タイルが張られている。昔の釜は大きかったのだろう、奥壁中央、釜と想定される部分が浴室側に少し張り出している。

床は無骨な御影石敷きで、石と石の間はグレーの小タイルが使われている。男女境を含め壁はシンプルな中判のタイル張り。カランの鏡が立って使うのか高い位置にある。

浴槽は、男女境に沿って、手前から細長い浅槽、主浴槽の深槽、ジェット×2の浴槽。細長い浅槽は神戸地域特有の汲み湯専用の設備なのかも知れない。それらは、周囲の踏み込み段を含めて黒っぽい御影石で組まれている。

お湯は42度強。井戸か水道かは確認しなかったけど、そもそも阪神の銭湯のお湯は柔らかいと感じている。同湯のお湯も円やかで、いい湯加減だった。

ビジュアルはない。

飲料の販売はないので、中央に置かれた縁台に座って、扇風機、次に東芝の異様に大きなクーラーの涼風に当たる。銭湯の業務用空調は何時の物なんだろうと思うものが多いけど、同湯のものもそういった類の年代物だった。

火曜日の18:20から19:10に滞在。女湯はそれなりに混んでいたようだけど、男湯の相客は、夫婦で連れだってやってきた1人だけ。

尼崎に初めてやってきた。先入観の”尼崎”とは違って静かな地域だった。尼崎には幾つか入りたい銭湯がある。また来ることになると思う。

来た道を間違えないように屈曲した道を慎重に駅まで戻る。武庫川畔の縁日は大勢の人が繰り出し、橋の下で昼寝していたテキ屋のあんちゃん達も忙しそうだ。盆踊りも佳境で、”煙突の煙があんまり煙いので”という炭坑節が何度も聞こえて来る。相方が銭湯の煙突を連想しているのがおかしかった。ただ、銭湯の煙突を思い起こしながら炭坑節を聞くのはいいものだ。

上がりの一杯は、東京の地下街より遙かに広く多層構造の梅田地下街へ。ガード下の梅田の新食道街も気になったものの、結局、相方の見立てで串カツ屋や立ち飲みなども並ぶ一角の「大ざわ」という居酒屋に入った。

焼酎とともに、サンマの刺身、東京には無い紅ショウガの天ぷらなどを頂く。普通のものがどれも新鮮で味も良かった。板場もホールもきびきびしていて勘定も安かった。大阪だなぁ。

重要文化財:世界平和記念聖堂(広島市)同:赤坂迎賓館〔改装を指揮〕(東京)

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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                                     武庫川駅




                                         武庫川駅






























秋刀魚刺しは、脂がくどくなる前の8月下旬頃が最も美味しい気がする。梅田地下街「大ざわ」にて。

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