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中野坂上・宝仙寺界隈 〜漬け物石を訪ねて 
 2015.11.03.



中野は大根の産地で沢庵漬けが産業として盛んだった。
界隈にはその頃の”漬け物石”が塀などに使われているらしい(古老談)。その探索のため中野坂上界隈を散歩。


塀ではないものの戦前の旧地名を記した琺瑯のプレートを付けたお宅にこれぞ漬け物石という石が転がっていた(小さい方の丸石)。
塀に練り込まれた石もあったものの、いずれも確認までは取れなかった。



旧山政醤油醸造所の煉瓦塀



旧平和信用組合(中央2 −48/現平和ビル)の所が、平和信用組合と等価交換する前の三菱銀行の支店だった。
この地が旧浅田銀行か、同行を分割買収した金原銀行(後の東京中野銀行)の支店なのかも知れない。
なお、浅田甚右衛門は、中野の穀物商でコープランドからビール製法を学び、浅田麦酒醸造所を設立。ビールをも製造していた。


野方町と合併し、東京市中野区に編入されるまで宝仙寺の境内に町役場があった。


臼塚


宝仙寺には四国お遍路関係の石造がいくつも建っている。











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