利世館(横浜市中区伊勢佐木町) H17.6.24

ハマの歓楽街,、伊勢左木町で100年近くの歴史を持つ築22年の黒湯温泉銭湯。相客も多く、活気がある。
大柄なヨーロッパ系のスキンヘッドの客が、腕組んで瞑想しながら半身浴してた。禅僧の趣き。

サウナは200円で、「サウナ リセイカン」の黄緑色のフェイスタオルを渡される。
22:00〜23:00滞在したけど、サウナの利用客は小生のみ。
金曜の夜につき、10人は入れるサウナでゴロンとしてた。

温泉分析表は、この建物が建てられた昭和58年。その時にに黒湯を掘り当てたのかも知れない。
ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物泉、18.2度。地下70メートルからの揚湯量は99リットル/分。
すべすべ感があるいい黒湯だけど、ややアンモニア的な匂いは、個人的には好みではない。

すぐ近くの「錦珍楼」は、味は本格的な中華料理店風で、価格は街の中華屋さんくらい。海鮮焼きそばに生ビール。なかなか良かった。

京急蒲田の「寿湯」、合羽橋の「寿湯」、立川の「あけぼの湯」(本家)とご親戚。

《H16.1.2のレポート》













もう50年も前のもの。


同湯向かいの旧カフェー調の建物。
同湯との間の通りは「親不孝通り」と呼ばれる風俗街。



すぐ近くの伊勢佐木本通の中華料理店。
なかなかお勧め。



中区伊勢佐木町(いせざきちょう) [明治22年4月1日設置]

町名の由来
 明治22年の市町村制施行の際、横浜市に編入された町です。吉田新田を埋め立てて明治7年5月20日に伊勢佐木町を新設しました。明治22年に横浜市伊勢佐木町となりました。昭和3年の町界町名地番整理事業の施行に伴い、松ケ枝町、賑(にぎわい)町、長島町を廃止し、その区域を長者町および久方(ひさかた)町の一部と末吉町字六丁目を経て南吉田橋に至るまで延長し、伊勢佐木町字7丁目までを置きました。

町名の由来については諸説あります。
第一説に、明治7、8年頃に元神奈川奉行であった佐々木信濃守と合原伊勢守の二人で開発したので「伊勢」と「佐木」の姓を連結しました。
第二説に、明治7年頃に伊勢の佐々木某がそば屋、佐々木庵を開業して繁盛しました。町名はその生国「伊勢」と姓「佐々木」を採りました。
第三説に、明治5、6年頃に太田町の伊勢文蔵と、桜木町の佐々木次平が吉田橋際の伊勢佐木町付近の埋立事業を手掛けたことからその姓をとって名付けたという説がとられていました。

しかし、最近の調査で、伊勢佐木町の道路造成の費用を寄付して中島信行(1846−1899)県令から銀杯を受けた伊勢屋中村治郎兵衛、佐川儀右衛門、佐々木新五郎の三人の姓から、それぞれ「伊勢」、「佐」、「木」を採ったものであることが分かりました。(『有隣(ゆうりん)』第二六一号二頁 平成元年八月十日、有隣堂刊)。

ここは横浜八景の一つで「鉄橋夕照(てっきょうのゆうしょう)」と呼ばれていました。
町に1丁目から7丁目の字区域があります。中央を町名に由来する「伊勢佐木町通り」が通り、横浜松坂屋本店(歴史的建造物)、横浜松坂屋西館(歴史的建造物)、有隣堂、不二家(歴史的建造物)があります。全国で初めての本格的、全面ショッピングモール「イセザキモール」は、昭和53年に1丁目から2丁目のモール、昭和57年に3丁目から4丁目のモールを完成し、電線類の地下化を行いました。

「横浜の町名」(横浜市市民局)より