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森巌寺川暗渠行と世田谷カトリック教会のカマボコ兵舎
 2017.01.02.




擁壁の下に幅90センチくらいの開渠の森巌寺川源流が手前から奥へ流れていた。
50メートルほど先が北沢中学校の校庭で、元々は沼地だった所。


世田谷区大原は、淡島の森巌寺の先で北沢川に合流していた2キロ余りの支流森巌寺川の最源流にあたり、近所には友人の味噌醸造蔵や月の湯があった。世田谷区立北沢中学校は、校舎よりも一段下がった校庭がかつて2つの源流が合流する沼地で、建て替え前の体育館の建設では、ぬかるんだ地盤ゆえ大量の松木の杭が使われたと聞いたことがある。

正月からそんな森巌寺川の川跡を探索。途中、三田用水との連結水路跡(山の湯〔廃業〕はこの水路脇に位置)や、世田谷カトリック教会(下北沢)では米軍払い下げのカマボコ兵舎が地域の避難場所として余生を送っていた。



昭和30年代の地図。への字型の川は玉川上水。等高線で見られるT字型の谷を大きく迂回していることが分る。
右下の学校(北沢中学校)から右下に延びるのが森巌寺川。地図には表記されていないものの、
T字型の谷のそれぞれに源流となる湧水地があったようだ。北沢中学校の東側の煙突の記号が小生
常湯だった月の湯(平成1年廃業)。標高42.9メートルというそこそこの標高のため川沿いの銭湯という認識は全く無かった。





北沢中学校の正門を背にして井の頭通りから望む、森願寺川の流れを彷彿させる暗渠跡。





茶沢通りから南を望む川跡。小生が松蔭幼稚園へ通っていた時代は幅2メートルほどの開渠で、
所々、木板で蓋がされていた。奥に見える煙突は石川湯の煙突。川沿いの銭湯だったことが分る。





中央を流れるのが森巌寺川。川沿いの煙突の記号が石川湯。右上の玉川上水から学校(北沢小学校)の
北西を通り、玉川上水分流の三田用水から水を落とす流路があった。北沢小学校の校地と接して建っていたのが山の湯





世田谷カトリック教会の旧信徒会館のカマボコ兵舎。昭和33年に導入された当時は3棟あった。
下北沢のスズナリ横丁の飲み屋街の直ぐ裏手にあたる。












昭和23年築の教会堂。




北側の小田急線と南側の井の頭線の中間に架かる橋の北側367番地が世田谷カトリック教会。
現在の教会の建物が昭和26年に建てられるまで、払い下げられたカマボコ兵舎が教会の建物として利用された。





小劇場で著名なザ・スズナリ











川の名となっている森願寺






北沢川との合流点





合流点から北沢川の緑道を望む。




森巌寺の西側を流れる森巌川。東西に流れる北沢川に合流。北沢川は目黒側に合流する。



《参考》
 ・森厳寺川(北沢川下北沢東支流) 〜東京の水2009 fragments
 ・世田谷カトリック教会 〜カトリック教会