差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2011年11月19日土曜日 2:00
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 新元湯(名古屋市中川区下之一色)

ナカムラです。

今日(11/4)は、「新元湯(名古屋市中川区下之一色)」に行ってきました。
中島駅(あおなみ線)から、3.2キロ、40分くらいです。

今日は、大須の「コンパル」「モカ珈琲店」などのレトロ喫茶店をハシゴしつつ怪しげな匂いが残る 大須新地の”BARとき”という廃業BARの建物を探索するというのが午前中のミッション。そして、 「せろり」で名古屋名物?の鉄板スパゲティを頂き、6年振りで第1級の郷愁銭湯の新元湯を目指 した。

同湯は、下之一色という旧漁師町にある。熱田区の日比野に新しい中央卸売市場が開設されるまで、 ここ下之一色の魚市場は名古屋の台所だった。昭和46年までは、尾頭橋から市電・下之一色線があ って、その終着駅。今は、名古屋駅からあおなみ線で中島駅まで南下。そこで市営バスに乗り継い で3キロほど。国道1号線沿いながら、今は結構不便な所にある。

6年振りに訪れると町は一段と寂れている。目抜き通りの商店の大半は廃業。開いている店は希な 感じ。浅間神社参道の栄湯跡(駐車場)の隣にあった喫茶店「石松」も、新元湯の湯上がりに一杯 やった食堂もシャッターが閉じ、廃業久しい様子だ。

廃業して10年近くなろうか、目抜き通りの旧ヱビス湯は建物もコンクリの煙突もそのまま残ってい る。伊勢湾台風を契機とした築堤により漁師たちが漁業権を手放す前は、この街にはこれ程の大型 銭湯が必要だったのだろう。東京銭湯の一般的フォーマットの7間間口よりも1回りは大きい。

この町に限らず、廃業した建物が長年その姿を晒しているのは、その町の商業的な利用価値が無く なっているからだ。地方は恐ろしいほどに疲弊している。

さて、新元湯。最盛期にはあまり広くない下之一色に8軒の銭湯があったけど、今は新川の堤のす ぐ下、魚市場の向かいの新元湯だけになってしまった。

大正時代に建てられた洋風の建物と後方に続くコンクリの浴舎と煙突。脱衣所の建物は、綺麗に塗 り直されているのでさほど古い感じはないけど、浴舎の方は打放しで風化が進んでいる。また、内 部は戦災で焼けたため、内装は戦後のものだ。脱衣所に昭和27年の営業許可証が掛かっている。内 装は、営業を再開したと思われるその頃のものだろう。

川の堤から階段を降りて、石彫りの門柱を抜け、暖簾を潜る。暖簾の上には、招来猫が座りオイデ オイデしている。11月なのに、シャツを腕捲りするほどに暖かい。夕方になってもハの字型に設置 された入口扉は男女湯ともにフルオープンだった。

番台の裏にあたる部分には簡素な木桟の摺りガラスの窓と、その下にマジョリカタイルの絵がある。 戦前築の銭湯で見かけるイニシャルの入ったものだ。周囲は白と深緑色の市松模様にタイルが張ら れている。この部分は大正時代のオリジナルのものなのだろうか。。。

扉を通れば、幅2間半、奥行5間ほどの広い空間。手前1間ほどがコンクリのたたきで、最奥の1 間余りが向かい合わせにタイルの流しや立ちシャワー(非稼働)を置いた緩衝地帯になっている。

同湯は洋風見せかけの看板建築ではない。窓は木製枠の回転窓。男女境には円柱を置き、天井や壁 はコンクリに白ペンキをじかに塗っている。入口には大きな水槽が置かれ、古い建物ながら内部は 相変わらず清潔に保たれている。郷愁銭湯が最も尊い姿で残っている。

たたきの傍らに立つ番台は、木組みの渋い茶色。下足箱はなく、たたきの外壁側に木製の靴棚があ るだけ。

床は籐敷き。ロッカーはSekiya-joとある扉にモールガラスを填めたもの。丸籠も現役で使われて いる。その他、名古屋牛乳が入った2枚扉の古い冷蔵庫、Yamatoのアナログ体重計、旧型マッサー ジ機、壁に据えられた業務用の大型扇風機などがある。

浴室に入ると、やはり明るく清潔な空間。広さは幅2間半、奥行4間ほど。天井は山形だけど、高 い棟の部分が左右に通るという少し変わった構造。天井には丁寧にブルーのペンキが塗ってあり、 内部からは外観の荒廃さは分からない。

壁は4方とも大判の白タイルをベースにし、上端に膨らみのあるタイル、その少し下に緑と白のマ ジョリカタイルを這わせている。

男女境は、上端を黄緑色のタイルで飾るとともに、ひし形模様のワンポイントの装飾を何カ所か配 置している。

そして、床にはあの正六角形の亀甲型の白タイルが使われている。ある意味、コンクリ造の浴室に 白ペンキを塗った”ビル銭”と同じだけど、格調と気品は桁違いだ。

カランは男女境に計6機のみ。うち手前の2機はオール金属製のレバー式という骨董品クラスのレ ア物(非稼働)。湯桶も使い古された白ケロリン。カランや湯桶に拘る向きには、堪らない逸品たち が並んでいる。

浴槽は、中央に円形の主浴槽、奥壁に接した薬湯と空浴槽の計3槽がある。浴槽の縁は小豆色の小 さな長方形タイル。内部には小石型のタイルが使われている。

相客は、入るなり女湯に居る女将さんに、お湯を足してくれるように声を掛けた。すると熱い湯が 注がれる。何とも長閑なシステム。奥壁に約10センチ四方の覗き穴が開けられ、今は石が置かれ見 通せないようになっている。昔は奥の釜場から浴室の様子を窺いながら焚き加減を調節していたよ うだ。

熱い湯が足された主浴槽は43度くらい。奥の薬湯は42度弱といったところ。身だけでなく、何よ りも心が癒される柔らかなお湯だ。新しく高級な施設では決して満たされない心地よさがある。

明るく清潔。ちょっと洒落たタイル遣い以外に特段のビジュアルというものはない。しかし、たま たま奥壁に素人が描いたイラストのような絵があった。大きく河童と富士山が描かれ、その間に描 かれた小さな海に、魚とクジラが泳いでいる。何かのテレビ番組の収録の際に描かれたものらしい。

金曜日の17:15から18:05に滞在。相客は10人くらいだろうか。上がりには地場の名古屋牛乳85 円を頂く。瓶牛乳が85円とは。。。赤字分は女将さんのサービスなのだろう。電話で営業時間をしつ こく聞いたので素性がばれていた。6年前もそうだったけど、相方とともに帰りに飲み物を頂戴し てしまった。

8軒あった銭湯も同湯だけになった。漁村としての使命を終え半世紀を経た街は、疲弊し寂れ切っ ている。そんな哀愁の中に佇むレトロ銭湯の至宝。少しでも長く湯を沸かしていてほしいと思う。。。

そう、浴室の鏡だったか”協和銀行隣り”そんな記載のある広告があった。在京の都市銀行下位行 だった協和銀行が何でこんな名古屋のディープな地域に支店を張っていたのか気になった。

協和銀行は、戦時下に9つの貯蓄銀行が合併した日本貯蓄銀行が母体行になっている。吸収合併さ れた貯蓄銀行の1つに名古屋を地盤とした日本貯蓄銀行(先の日本貯蓄銀行とは別の法人)があっ た。きっと、その時代からの店舗だろうと推測される。協和銀行は、その後、協和埼玉銀行、あさ ひ銀行を経て、りそな銀行になっている。

”下一色出張所”は、あさひ銀行の時代まで国道1号線沿いに存続したようで、廃止後に廃墟とな っていた建物は、一色大橋の架け替えに伴う片側1車線の1号線拡幅(工事中)で撤去された。6 年前は暗く寒い中、廃墟が建ち並ぶ前のバス停でバスを待つのは気分がいいものではなかった。こ のように一色大橋付近は6年前に来た時と大きく変わっている。ただ、りそな銀行のATM(クイッ クロビー)は、寂れた商店街の入口に場所を移して、今も存続している。

湯上がりの一杯は、名古屋駅まで戻り、気になっていた「山海百味、そら豆」へ。名古屋駅から3 分くらいの繁華街の一角で、旧三越湯(昭和6年築)の建物を転用している。平成8年に同湯が廃 業した際に、外観そのままにカフェバーに近い居酒屋になった。凝った作りの伝統的木造銭湯で、 正面右手に防火壁の機能を目的とした”うだつ”があるという類例を知らない独特のファッサード になっている。

内部はかなり手が入っていものの、脱衣所の格天井が残っているほか、旧釜場のトイレ周りに、煙 突の基部、煉瓦積みの防火壁、濾過装置などが半ばディスプレイという感じで残されている。

金曜日の夜、下之一色で電話を架けたら満員で断られたけど、行けば席数も多く回転も悪くないの で入ることができた。味もまぁまぁ、値段も手頃。付近一帯も同店と同じような古い建物をリノベ ートした飲食店がならび、どこも若い人たちで混雑していた。

《前回訪問:2005.04.02.》

下之一色の風景(都市風景論)

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
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 古い銭湯で見られるマジョリカタイルのタイル絵


シャッターの上に狛犬の如く招き猫が一対で並んでいる。


 店舗のほとんどが撤退。
 猫だまりになって、一軒の赤提灯が揺れる。