差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2017年1月14日土曜日 0:42
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 昭和温泉(倉敷市児島味野上)
ナカムラです。
今日(3/3)は、「昭和温泉(倉敷市児島味野上)」に行ってきました。児島駅(本四備讃線)から、2.5キロ、30分くらいです。同湯前が小川七丁目バス停になっていて、児島循環他の下電バスでアクセスすることも出来る。
小倉から岡山に移り、駅の西側の旧山陽道にあたる鄙びた奉還町のアーケード街を歩く。一軒の古本屋で買った昭和50年代初めの「岡山県の経済」という本によれば、廃藩置県の際、下級武士がそれまでの秩禄を奉還し起業のための一時金を得て、ここ奉還町で店を構えたという。大方は武士の商法で立ち行かなくなるものの、当時から続く店もあるようだ。あくまで30数年前の情報で、当時は立派だったろう商店街はかなり衰退している。
奉還町の4丁目に、岡山県で10軒(清心温泉を除く)になってしまった銭湯のうちの一軒、鶴湯があるのでまずはご挨拶。看板は欠落し、営業案内も黒で塗り潰されている。どう見ても廃業銭湯の趣なのだけど、石敷きの浴室を持つ旧山陽道の古豪は、今も営業を続けているようだ。
商店街の屋号が珍妙な大衆食堂「B食」でボリュームびっくりのカニクリームコロッケ定食を頂いた後、児島に向かう。
児島は、塩田と綿花の集散地として繁栄を極めた歴史を持つ。早い時期に下津井電鉄などの社会インフラが整ったのは、そういった事情による。
かつての目抜き通りには「八ツ墓村※」に出てきたような、製塩で財を成した野崎家の旧宅や、寂れた商店街に不思議なくらい立派な旧安田銀行、旧中国銀行など、かつて銀行だった近代建築が残っている。
再興を期し目抜き通りは”ジーンズストリート”と名付けられて伝統的な藍染めでもあるジーンズの高級店が並ぶ。しかし、平日に開いている店は少ない。地元の百貨店的な大型店だったヨシオカヤのビルは野ざらしになったまま。駅前の天満屋を核としたショッピングセンターも眼を覆うばかりの惨状、町おこしの厳しさを感じる。
さて、早ければ19:00過ぎには店を閉じるという児島最後の一軒の昭和浴場へ。
川沿いにある大正時代の末か昭和初期の建物。奥に細いパイプ型の煙突が見える。敷地の区切りでもある裏の水路の擁壁の見事さがこの地域の歴史を物語っている。丁寧に刈り込まれた生け垣の少し奥まった所に2房の暖簾が2つ下がっている。長くはないアプローチは飛び飛びに置かれた敷石 を踏みながら進んで行く。
傍らには井戸。向かって左側が古い木造の居宅になっている。番台裏、低い軒の下には”湯和昭”と屋号右書きの篇額が掛かる。
ガラガラと戸を開けると眼前に広がる”漆黒の世界”に息を飲む。ここは何処?今はいつだっけ?何だ何だと。
相方はあまりのイニシエさに衝撃を受けながらも2人分の風呂銭840円を女将さんに手渡した。番台の女将さんは柔和ながらもきりっとした顔立ち。
コンクリの狭いたたきを挟んで、番台と反対側には取っ手だけで錠がない小振りな下足箱。小さな蓋の並びが端正だ。2階への階段が残っているものの見上げると板で蓋がしてあった。
脱衣所の広さは横2間、奥行は半間のたたきと1間の緩衝地帯を合わせて3間半ほど。天井高さは1間半弱。床は新建材で更新されているけど天井に天板なんてものはなく、2階を支える構造材とそれに支えられた剥き出し床板が黒光りしている。
脱衣所には立派な墨書が額装されている。やはり右書きで「國立産殖」。女湯は「兒育実賢」らしい。戦後70年余りを経たものの、同湯には古いハードのみならず、戦前の価値観的なソフトがそのまま残っている。敗戦直後、軍国主義的な価値観にアレルギーがあったはず。銭湯という公衆の場に、こういった物が生き長らえたのはどうしてなんだろう。いい悪いではなく、その点に興味を引かれた。
ロッカーは、オール木製の黒光りするもので漢数字が扉に大きく書かれている。外付けの錠はなく、内部の閂の細工を番頭が操作したのだろう鍵穴が扉の中央にある。
その他、男女境の黒枠の鏡、古いHITACHIの扇風機、旧型マッサージ機、HOKUTOWのアナログ体重計、ぶら下がり健康機、横長の古い冷蔵庫等々。小さなテーブルと椅子などがあるものの、基本的には広い空間を残している。
浴室の広さは、幅2間、奥行3間。壁は1間の高さまでが中判の白タイルで、それより上は荒い感じのベージュ色のガン吹きで仕上げている。
天井高は2間強で、青いトタン板が山形に互い違いに重なり、その隙間から湯気が抜けて行く。おそらくオリジナルの天井は壊れているようだ。その下にこのトタン天井を吊している。
床は結構な湯勾配で、荒削りの御影石が敷かれている。無造作に椅子を置いて座ったら、バランスを崩してのけぞるほどだった。
ここにシャワーなんてものは有ろうはずはなく、カラン数は外壁側に4機、入口方には水のみが2機。しかも、お湯のカランからは熱湯がチョロチョロと静かに流れ出るのみ。実際には汲み湯で身体を洗うことになる。
浴槽は、奥壁の少し手前男女境に接するように、黄ばんだタイルが外縁に張られた1間四方のもの。同湯には2本の井戸があって、煮炊きにもその水を使っている。そんな天然水のお湯は41度半くらい。角にある獅子口から静かにお湯が注ぎ込まれる。
ビジュアルなんてものはない。タイルも敷石もオリジナルの姿からはだいぶ黄ばんでいる。おまけに壁は土蔵のような黄土色。夕陽が差し込む浴室は、その光線の柔らかさも加わって、神々しいくらいにセピア調に見えた。
質実剛健さと壮絶なるレトロさに満ち溢れている。湯船に浸かって眼を瞑れば、焚出し口からの湯音とともに、己の人生が去来するのは間違いない。世の中のことは、この荘厳な空間に身を置けばさしたる事ではない。
上がりは男湯の冷蔵庫から2本のメグミルクの神戸産の特濃牛乳を取り出し、1本は女将さんを通じて相方に手渡してもらった。
水曜日の17:30から18:30に滞在。相客は2人。児島最後の一軒。久し振りに心揺さぶられる郷愁銭湯だった。
瀬戸大橋下の大黒湯はまだ営業しているようだ。しかし、同じ下津井の八千代湯や水島の第三浴場は、昨秋作った岡山県浴場組合のパンフレットには掲載されていなかった。
一方、津山の武蔵湯はまだ営業を続けているようだ。岡山の銭湯は味わい深い。しかし、あと10軒余りにまで減っている。いつまで入ることが出来るんだろうか。
※八ツ墓村に出てくる旧宅は、同じ岡山県は高梁市成羽町の広兼邸。こちらは製塩ではなくベンガラで財を成した方の邸宅。
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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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