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2024/03/17 09:18

ナカムラです。

今日(3/11)は「大盛湯(品川区二葉)」に行ってきました。

下神明駅(東急大井町線)から0.5キロ、7分くらいです。

先週からの春休みも終盤に入った。遠くに旅行するでもなく、相方、2匹の娘猫ライカとローライと普段の土日と変わらない生活をしていた。今日はそんな中で単独行動。都営地下鉄三田線で白金台駅まで行き、戦災非焼失地域である白金台を起点に池田山を経由して、袋小路の坂道や階段を行きつ戻りつしながら五反田まで歩く。

明治の元勲の住宅地が並んでいた白金台も戦前に西武の前身企業である箱根土地㈱が開発分譲を行った池田山住宅地も結論から言えば、明らかに戦前の建物と思えるものは残っていないようだった。双方とも超がつくほどの高級住宅地だけど、特に白金台は気が滅入るほどの豪邸が並んでいた。

戦災非焼失地域に残る戦前築の物件を眺めるという点での収穫はあまりなかった。しかし、図らずも写真では何度も見たことがある三田用水の遺構の、今里橋、用水のコンクリートの樋、今里地蔵堂に遭遇することができたので満足だった。3時間ほどでタウンウォッチングを切り上げて、早めに西五反田の松の湯へ向かおうとするが、生憎、定休日であることが分かった。

せっかくだからと、五反田駅から池上線で旗の台駅を経由して大井町線の下神明駅まで足を延ばし、大盛湯へ向かった。駅前には「大連」というラーメン屋と少し下った川跡(暗渠)に「古戸越橋」があったけど、ラーメン屋は更地、橋の遺構は近くの公園に移設されたようで、無くなっていた。東京の私鉄沿線の駅前でも、チェーン店が出店しない小駅では、個人店の灯かりが消えている。

大盛湯は旗の台駅(東急池上線/大井町線)から西大井駅(JR横須賀線)、大井町駅(京浜東北線)をつなぐ、三間通りという疎らに商店が並ぶ3キロ余りの通りから少し中に入った所にある。昭和25年築の伝統的木造銭湯。今でもコンクリ煙突から煙を棚引かせている。

エントランスは千鳥破風&唐破風のという堂々としたもの。唐破風には懸魚だけでなく鏝絵も施されている。塀の外側からも溶岩の庭石がはみ出しているけど、同湯の前庭は広く、高く庭石を組んだ築山と苔蒸した地面が良い風情だ。石で滝を表現しているけど池を埋めたのではないように思えた。同湯の敷地は広く母屋と浴舎の間に石組みの池が設えられている。奥壁の下部がガラス張になっている。現在は池に水は張られていないものの、かつては魚がいて入浴しながら泳ぐ鑑賞魚を見ることとができたのだろう。

同湯の経営は坂詰さん(三代目の娘婿)というやや珍しい苗字の方が行っている。銭湯経営者が多い石川県に多い苗字なので銭湯同士のつながりを推測するのは行き過ぎかも知れないけど、同じ大森の東京浴場、西小山の東京浴場も坂詰姓の方が経営をされていて、男女湯間に置かれた庭池の水中を泳ぐ魚を眺めることができるという類似の構造だった。ひょっとしたらご関係があるのかも知れない。もっとも、水中の魚を眺めることができる銭湯は三筋湯(台東区)や富士見湯(練馬区)などがあり、同湯のように今は稼働していないけど、元々はそうだったという銭湯はもっとあるだろう。

脱衣所は折上げ格天井。床や大きな鏡の男女境を含めて同湯は何処もニス塗りでそれがピカピカに磨き込まれている。鏡の下はガラス扉になっていて3段ほどの浅い奥行きの棚になっていた。昔は湯上りの赤ん坊は”シッカロール”という白い粉を塗りたくったものだ。銭湯にはそのシッカロールの円筒形の入れ物がキープされていた。そんな棚が今も磨き込まれている。棚は空だけど、その懐かしい光景に郷愁を感じる。

浴槽は奥壁に接した深浅2槽。群青色のタイルが綺麗だ。煙突から煙が出ていたので薪で沸かしているのだろうか。やや温めの適温で寛ぎながら浸かってじんわりと身体が温まっていく。ビジュアルは奥壁が全面ガラス張りで庭が見通せるもの。釜場に通じる扉の上に洋城を主題としたモザイクタイル絵。男女境には洋風の山々と湖沼を描いた絵付けのタイル絵がある。

上がりは瓶入りの明治牛乳が120円。森永は重く流通面でのコストが掛かる瓶入り牛乳の製造販売を終了するという。明治も既に何年か前にフルーツ牛乳がペットに変って同湯でも瓶の隣にそれが並んでいた。

月曜日の17:25から18:10に滞在。出ればエントランス他に灯かりが灯されていた。店の外にでると灯かりが灯されていた。相客は延べで10人余り。ご常連同士が挨拶を交わし大井競馬場だろうか競馬の情報などを交わしている銭湯だった。脱衣所と浴室の双方にある庭が素晴らしい。できれば明るい時に訪れたい銭湯だ。

帰路は三間通りを通り大井町駅へ。洋食・中華の「千里」や焼き鳥の「大吉」に灯かりが点いていた。焼き鳥の大吉は以前より見かけなくなった。いつしかサントリーの連結子会社を経由して2023年に鳥貴族の子会社になっているようだ。しかし、この通りも商店街がどんどん住宅に建て替えられている。

※店内ビュー(浴場組合)

※前回訪問_2015.10.17.
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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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品川区二葉。公道に面していない私道だからか古い家が並んでいる。
木造アパートの間を抜けると、大盛湯の裏に出た。

 

フランチャイズ店のみの「大吉」
店主一人でできる規模の店を固定費を抑えた立地で展開している
サントリー子会社から鳥貴族の子会社に移っている
 

下神明駅近くのガード脇の三角の狭小物件。
トタンの波板が使われている。トタンの波板っていつ頃まで使われていたんだろう。

 


 


 

「大連」を少し下ると古戸越川の暗渠に“古戸越橋”が残っていた。
暗渠が道として整備され、この橋は近くの公園に移設されている。(2015年撮影)


 


 

東急大井町線の下神明駅の改札口のすぐ傍に「大連」という和風下見板張りの古いラーメン屋があって、大盛湯に行くたびにその風情に惹かれた。昨日、下神明駅を降りると更地になっていた。そして、三角形の狭小な不整形地だったことを初めて知った。商店街とは呼べないような短い通り。こんな狭い土地でも稼ぎになった高度成長期があった。(2015年撮影)
 



 

大井町のゼームス坂の上の飲食店街。その外れの平和小路の中ほどの四辻。
飲食店が立体的に絡み合った光景は見応えがある。

 

「ゼームス坂」の名前は、江戸末期に来日し、創設期の日本海軍の発展に貢献した英国人・J・M・ゼームス(ジェームス)に因む。1887(明治20)年頃、この坂の途中に居を構え、邸宅の前の坂をなだらかに改修したことからゼームス坂と呼ばれるようになった。