差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2014年8月21日木曜日 22:15
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 谷乃湯(呉市阿賀中央町)

ナカムラです。

今日(6/17)は、「谷乃湯(呉市阿賀中央町)」に行ってきました。安芸阿賀駅(呉線)から、0.7キロ、7分くらいです。

呉駅前は結構な雨。そごうデパートだった大きな建物が空家になっていて、駅前はだいぶ裏ぶれてしまった。そんな駅前からバスに乗って音戸渡船の船付場に向かう。

半世紀ほど前、記念切手にも描かれた音戸大橋。昨年、平行する2番目の橋が掛けられてなお、日本で一番短い定期航路らしい「音戸渡船」は残っている。

自動車に恐怖を覚えながら自転車でかなりの高さまで登って対岸に渡るのはかなり難儀。それに比べ、桟橋に立っていると対岸からも迎えに来るという柔軟な運行。70円を払えば簡単に渡ることができる。戸畑ー若松の渡船も同様の理由だろう、橋が出来てもずっと生き残っている。

そして、本当に一瞬で倉橋島の音戸。車一台がやっと通ることが出来る旧道の引地浜の煉瓦煙突だけが残る銭湯跡、大門の名残や「開廓紀念碑」が残る鰯浜の旧音戸遊廓。旧桜湯、地蔵湯、榎木酒造(清酒「華鳩」)と巡って行く。

大昔の商店街。列柱が見事な旧音戸銀行(呉銀行を経て現広島銀行)、旧藝備銀行(現広島銀行)などのかつての栄華を偲ばせる銀行建築も残っていた。

だけど、旧音戸銀行の建物を倉庫に使っていた漁網会社は破産したというし、旧道の店の9割以上の店は廃業。島南端の室尾に再訪した時と同様の何処か重苦しいものを感じた。

唯一やっていた飲食店は、桜湯のご親戚という女将がやっている「しんちゃん」というスナック兼居酒屋兼お好み焼屋。かつての美人女将の写真が壁に貼ってあった。桜湯の掃除を手伝っていたこともあるという。桜湯に呼ばれたのかも知れない。

安芸阿賀駅は、呉駅の隣駅ながら長いトンネルを抜けて辿り着く。昭和43年の全国浴場銘鑑を見ると、呉市ではなく阿賀西町となっている。阿賀港がすぐ南にあって、近年まで四国松山とを結ぶ呉松フェリーが発着していた。それにしても、燃油費の高騰と高速道路の値下げなどで瀬戸内海の船がだいぶ減ってしまったなぁ。。。

海に注ぐ川を渡って、港から南北に走る車の往来の多い道と平行して細い道がある。古くからの道なのだろう「風呂中」なる質屋風の貴金属商や居宅の立派な和館を持つ古い洋風建築の馬場医院(大正7年頃)など、ちょっと歩いたたけで気になる建物が多く並んでいる。

同湯もそんな道に面している。パイプ型の煙突を持つ男女合わせて間口3間の2階建て。ハの字型に男女湯への入口が並び、その上には木彫りだろうか、屋号が記されている。

ドアを開けて中に入った途端、女将さんがやって来て仕舞いだという。閉店の時刻が確認していた19:30から30分程繰り上がっていた。相方が2人分の風呂銭760円を差しだしながら、同湯に入るためにやって来たとぽろり。。。番台を挟んで小生と相方が、よほど悲壮感漂う表情をしていたんだろう。既に機械は止められていたけど、再び稼働させてくれた上で、快く招き入れてくれた。

初代の「谷さん」が創業。屋号はそれに由来している。女将さんは三代目の経営者で、昭和49年に経営を引き継いで40年近くになるという。

幅1間半の小銭湯。下足箱はなく、番台下部と入口方の壁に靴棚が有る。たたきはコンクリではなく、黄色とえんじ色のタイルの市松模様。上がりかまちは小石タイル。凝った作り込みがなされている。

脱衣所の広さは、幅1間半、奥行き2間。2階が載っているのでさほどの高さはない。今は白いクロスが張られている。

今は天井扇に変わっているものの、天井扇の前は男女境に固定された手動の大団扇があったという。水平に固定された大きな団扇を紐で上下させて風を起こすという物。初めて接する興味深い話だった。

ロッカーは壁側にオール木製ロッカーが並ぶ。錠前は「こがね錠」。初めて遭遇するものだと思う。

その他、男女境の木戸や”ゆらゆら硝子”の大鏡、合併されて消えた阿賀信用金庫の古い広告看板、ヘルスメーター、女将さんの端正な活け花などがある。

浴室の広さは、幅1間半、奥行4間程と縦に長い。天井は四角錐型で中央に湯気抜きのあるもの。浴室のこの細長さは、下関の恵比寿湯、尾鷲の新生湯などを思い出す。何れも海に近い銭湯という点が共通している。

カランは外壁に10。床のタイルは丸タイルが整然と並ぶ。表の花のプランターや脱衣所の凝った生け花で感じていたけど、この銭湯はもてなしの心に溢れている。そういった銭湯は当然のことながら、同湯も例外なく清潔だ。

浴槽は、男女境に接するかたちで中央に深浅2浴槽。縁に細長いレトロなタイル遣いが残った掘り込まれた感じのものだ。更に奥壁に接して深緑色のレトロタイルの「枕」がある41度位の薬湯の副浴槽がある。ステンレスの「水枕」は良く見るけど、冷却機能がないのは珍しい。

お湯は井戸水を重油で沸かしたもので、42度位の柔らかなお湯だった。

しかし、既にロスタイム。カランからの細い湯を溜めるのももどかしく、浴槽からの汲み湯で急ぎ頭と身体を一緒に洗い流して上がった。

上がった後、女将さんは同湯について色々と話をしてくてた。わざわざ、釜場となっている浴室の奥にあるかつての蒸風呂の跡にまで案内してくれ、青い絵付けの本業タイルが残っているのを見せてくれた。

呉市の銭湯は11軒。それにスーパー銭湯(詩音)を加えた、浴場組合特製(インクジェットプリンター印刷)の月めくりのカレンダーが掛っていた。

火曜日の営業終了後の19:00から20:00に滞在。相客はなし。入れて頂いた上に、色々と解説までしてくださった優しそうな女将さんにただただ感謝。急いで上がったけど、その代わりにじんわりと心温まる感じがした。

上がりの一杯は呉に戻って、昨日に続き有楽街近くの「徳川」というお好み焼き屋。大きな店だけど、稼働率10%くらいか。この店に限らない感じだけど、雨降りの平日といってもあまりに寂しい呉の夜。

ただ、近くの「赤ビル温泉(未入浴)」はビルの外壁に葛飾北斎の浮世絵をデカデカと描き、かなりパワーアップしていた。3階まで階段を昇って偵察に行くと、何と立派な唐破風がある。入る機会がありそうな無さそうな。。。

※2014.10.9.の営業を以て廃業されたようです。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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 釜場(女湯の奥)はかつて蒸し風呂になっていた。紺色単色の本業タイルが壁に残っている。



































       バイパスが同湯の直ぐ裏に通っているけど、この通りが阿賀港に抜ける主要道だったのだろう。
              建物は脱衣所棟も浴舎の方も増築で大きくしていった様子が見て取れる。



                女将さんの優しさが、ただただ印象に残りました。
              有り難うございました。そして、長い間お疲れさまでした。

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