差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2016年3月6日日曜日 21:56
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 梅湯(京都市下京区木屋町通上ノ口上る岩滝町)

ナカムラです。

今日(8/25)は、「梅湯(京都市下京区木屋町通上ノ口上る岩滝町)」に行ってきました。清水五条駅(京阪電鉄本線)から、0.6キロ、7分くらいです。

朝から京都市街をぷらぷら。イノダコーヒで朝食をとり、時折の雨を避けながらフランソア喫茶室でお茶したり、おやつに葛切りを頂いたり。

贔屓の蓬莱堂茶舗では、抹茶をはじめ幾つかの茶葉を買い求めた。飲みこなしが難しいというジン(眞・芽茶)に話が及ぶと、大将の眼鏡のレンズがカパッと音を立てて跳ね上がり、眼玉がキラッと光る。今回も結局ジンも買う。

上客のついでながら、初めてお茶を出して頂いた。流石は京都、お茶を出して頂けるまでのハードルがめちゃめちゃ高い。杯ほどの茶器に、敢えて禁じ手の熱湯を使って淹れ渋みを引き出したというお手前。ひと口に満たない量だけど、確かに冴えた技を感じる。流石だ。

相方は、予め目星を付けていた和裁道具などを求め東奔西走。糸や針。握り鋏や裁ち鋏などを仕込んでいる。途中、北大路の糸屋への道すがら若菜湯に遭遇。

さて、梅湯。今回、京都では3泊宿を取ったものの舞鶴から夜に入ったり、不便な滋賀の水口を往復したりしたので、京都市街での滞在時間が取りにくかった。今日は奈良県五條市の栄湯を計画していたけど、遠いのと台風の影響で天気が荒れているので止めにした。夜は祇園のビアホールに行く予定もあって、少し下った旧五條楽園の梅湯で”極楽キメる(=梅湯のキャッチコピー。銭湯に入る)”ことにした。

清水五条駅で下りて、甘春堂で干菓子を買い、初めて両面橋側から旧遊廓エリアに入った。途中、両面通りを西に少し入った所で、相方が不思議なデザインの建物を発見する。

近づくと、人の気配がないビルながら、とても丁寧にメンテナンスされた任天堂の旧本店ビル(昭和8年築)だった。写真で見たことがある近代建築だけど、五條楽園にあるというのは知らなかった。任天堂の祖業は花札の製造販売。遊廓と博徒と花札。なるほどという組み合わせではある。

旧遊廓の中心には高瀬川が流れる。最初に訪れた時は”何も知らない観光客”を装い、敢えて堂々とカメラを構え、お茶屋の女将に後を付けられたりした。数年前、そのお茶屋が一斉に営業を止め、今は風情残る町並みをゆっくりと歩くことが出来る。

梅湯は、そんな旧五條楽園の高瀬川に架かる橋の袂にある。この風情が同湯のかけがえのないアドバンテージだと思う。

築100年は超えるという古い2階家。ファッサードは直方体のモルタルの増築に置き替わっている。看板はなく、建物の側面に”サウナの梅湯”という縦書きのネオンサイン。後方には、名古屋ほどではないけどやや太めで短いコンクリの煙突が見える。昭和20年代くらいだろうか、昔の写真を見せて頂いたけど、意外にも関部分は入母屋屋根の関東風のものだった。

明るく楽し気な内部が窺えるようにか、暖簾は敢えて脇に目印として下げている。エントランス周りには紅白の提灯の灯りが賑やかだ。スナックで見かけるようなサインボードも導入されるようだ。

中に入ると右手に下足箱。左手に梅湯の若き店主・湊さんが詰める和箪笥をアレンジしたカウンターが、入口方向を向いている。壁はベンガラ色、カウンターの上には柿渋の番傘が開く。さらに、この広くはないロビースペースに、招き猫を載せたモール硝子の扉の古いロッカーや骨董品級の女湯入口のオリジナル暖簾。店主のセンスが光る。

「暖簾」という用語は企業の帳簿の勘定科目にもある。過去からの実績と信用力が生み出す強い収益力を金額に表したもの。"平安綜合協同企業組合"とある。昭和20年代のものだろうか、古いこの暖簾には、そういった潜在力を感じる。

脱衣所は、幅3間、奥行2間半くらい。天井高は2間ほどだだろうか、照明組み込みの意匠を施したステンド風の天井になっている。ロッカーは外壁ほかにツルカメ錠、だったかな。丸椅子がいくつかあって、水曜日の夕方、客は思い思いに寛いでいる。

さすが廓の銭湯。2階は10人も居たという住み込みの女中部屋だったらしい。しかし、階段が女湯脱衣所にしかなく営業中は2階を活用することが出来ないようだ。もっとも、別の階段を付け、新たなサービスを提供する構想はあるようだ。

女中が10人も居た銭湯なんて聞いたことがない。でも、この立地の大型銭湯。そんな時代があったのだろう。

浴室は、幅3間、奥行5間半。奥側は奥行1間半程度のスペースに、サウナとゆったりの水風呂。天井は、東京銭湯とは方向で90度違うけど、京都には珍しく2段型と言っていい高窓の空間がある。今日は台風後の強風で高窓の調子が悪かったようだ。浴室でひと騒ぎになっていた。

島カランはなく、カランは外壁に11、手前の浅槽の側面に3、サウナ室の側面に3。床のタイルは赤グレープフルーツ色の大判厚手のもの。積年の摩滅で滑り易い。しかし、今はいい滑り止めの薬剤があるようだ。

浴槽は男女境に沿って、浅槽、深槽、小生の好物の玉露のお茶風呂。各浴槽の縁は分厚い赤御影石が張られた豪勢なものだ。

浅槽と深槽の間にはお湯が透明で球状に広がる噴水がある。今まで遭遇したものの中で、一番高くから大きく湯が広がるものだ。

お湯は井戸水を薪で沸かしている。微かに固さを感じなくはないけど、清澄さとすっきりとした浴感はなかなかだと思う。湯温は42度くらい。蒸し暑く、ジメジメした中で入るのはたまらなく心地いい。まさに極楽、極楽。

サウナの横にある水風呂は幅1間半、奥行1間ほどと広い。奥に釜場への扉があり、何と太鼓橋が架かっている。船岡温泉は脱衣所から浴室の間に、練馬の富士見湯は浴室傍らの池に橋が架かっていた。しかし、こういった架橋は見たことがない。

サウナは、1間四方の乾式。脱衣所方向の壁が広い硝子になっていて採光十分。テラコッタ風の壁材が使われ、落ち着きと高級感を演出している。

広さ十分のサウナながら、真っ赤になった太い電熱棒が剥き出しの電気式。京都ではよく見かけるとのことだけど、関東ではまず目にすることがない。原発比率が一番高かった関電は、高価な火力の焚き増しで電気料金が高い。赤く焼けた電熱棒を見ながら大変だなぁと思う。こまめにスイッチを切り替えるなど、運用には気配りが必要なようだ。

特にビジュアルと言えるものはない。大きな噴水が強いて言えばそれにあたるかな。女湯には男湯とは違って、変った形の鏡が有るらしい。

上がりはビックルを頂く。アンダーグラウンドっぽい御兄さんが冷蔵庫からポカリを取り出し、湊さんにドスの利いた声で”ちゃんと冷えとんやろうな”と確認していた。予め確認するのは正しい行動。でも、御兄さんの期待よりも冷えていなかったらどうなるんだろう。湊さん、男としての度胸も鍛えられているんだろうなと思った。

水曜日の17:05から18:20に滞在。相客は多数。強風に加え強い雨が降り出した。雨になると常連の来客が少なくなる代わりに、町に繰り出すのを躊躇った、近くに泊まる外国人旅行客が増えるという。チラシをポストするこまめな営業活動が、意外な展開を巻き起こしているようだ。

上がりの一杯は、祇園甲部の歌舞練連場を会場とした、今回が初めてというキリンのビアホールへ。あまり知られていないのか、雨の日の夜。空いていて、静かで、寛ぐことが出来た。そして、夜の祇園を歩くのは初めてだった。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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                             正面橋を渡り旧遊廓(五條楽園)へ





                     鴨川と旧遊廓。旧遊廓は鴨川と廓内の高瀬川に囲まれている





                          軒灯跡がある旧妓楼が数多く残っている。(後方が鴨川)





              京都的な唐破風を持つ旧妓楼も多数ある。(後方に弁天湯)





             廓内に、博徒に花札を売って成功した山内任天堂の旧本店・居宅・倉庫がある。





                            アールデコの旧本店の正面(昭和8年築)





                              外構に旧社名“丸福”が刻印されている





                         祇園甲部の歌舞練場での「舞子物語展」


















                              祇園ICHIBANビアホール
















                                  五条大橋から

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