差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2018年10月13日土曜日 21:48
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 良の湯(墨田区東向島)

ナカムラです。今日(10/8)は、「良の湯(墨田区東向島)」に行ってきました。曳舟駅(東武スカイツリー線)から、0.1キロ、1分くらいです。

床屋の親父が東京ソラマチの話をしていたので、一度も訪れたことがないソラマチを冷やかした後、近くの銭湯に入ろうと出かけた。東京ソラマチ自体は今風のショッピングモールで、取り立てて見るべきものは無かったかな。

同湯は、曳舟駅から人だけが通ることの出来る細い路地を50メートル程進んだ所にある。駅前ながら道が入り組んだ不思議な立地にある、木造の戦前からの銭湯。ファッサードは改築されタイル張り。後方には油井型の煙突。傍らには隣駅である東京スカイツリー駅〈旧業平橋駅〉の東京スカイツリーが青く光っている。

墨田区(旧本所区および旧向島区)は、関東大震災後は工業地帯として発展し、区部の2割を占めた中小を中心とした工場は、戦時体制に組み込まれることで、民需から軍需生産そして兵器生産へと転換して行った。

そして、昭和20年3月10日、太平洋戦争空襲史上最大の空襲である東京大空襲で、約70%(旧本所区の96%、旧向島区の57%)が焼失、6万人の死者と30万人の罹災者が出た。

手元の「大東京戦災焼失地図」で真っ赤な焼失地域の中で、曳舟駅と京成曳舟駅界隈は極例外的な感じで白抜きの非焼失地域となっている。

遡れる最も古い航空写真である昭和11年に旧陸軍参謀本部撮影の写真に、おぼろげながら良の湯を見ることが出来る。昭和22年以降も上空から見た建物のレイアウトは変わっていない。人だけが通れる同湯の路地は田圃に通じる畦道だったようだ。いつ頃からの銭湯で、この建物の建築年はいつなんだろうか。

格天井のほとんどの天板には、掠れながらも円形に図案化された鶴が描かれている。浴室の木板ペンキ塗りの天井は、塗り重ねられたペンキの襞からして、かなり古そうだ。近くに有った曳舟湯(廃業)のように、戦前の建物を引き継いでいるのだろうか。

そして、当地は戦災で焼失した赤線・玉ノ井から1キロ余りと近く、付近一帯で例外的な戦災非焼失地域だったので、焼け出された赤線業者が流れ込んで”鳩ノ街”が形成された。都電が走っていた水戸街道を渡った鳩ノ街の商店街から300メートル余りしか離れていない。曳舟駅からのヒョウ客は、同湯界隈の路地を通ったことだろう。

さて、良の湯。暖簾を潜れば靴脱ぎ場の両サイドに松竹錠の下足箱。番台への扉を開ければ、視界を極端に遮った高くはない“ボックス式”の番台。表情に灰汁と苦味が浮き出たおばちゃんが詰めている。

脱衣所の広さは3間四方。天井は折上げ格天井で全ての天板に2羽の鶴を描いた日本画が嵌め込まれている。ただ、だいぶ色褪せているので最初はタツノオトシゴが向かい合ってダンスしている絵柄に見えた。

ロッカーは外壁側に松竹シリンダ式のもの。アナログ体重計は文字盤が膝の高さにあるMoriya製。その他、縁台が置かれているくらい。

浴室の広さは幅3間、奥行4間。天井は木板にペンキ塗り。塗り重ねられたペンキの襞や緩やかに広がるウィング部が特徴的かも知れない。

島カランは1列で、カラン数はセンターから6・6・6・7。床のタイルは淡いブルーの星形のもの。

隣湯のおかめ湯が定休のせいか、かなり混雑している。浴室に足を踏み入れた時に17、18人くらい。滞在中の延人数では30人は超えていたと思う。

浴槽は、深槽が座ジェット×2で、浅槽は、バイブラと寝湯×1。湯温はいずれも42度くらい。こなれた円やかなお湯が気持ちいい。

ビジュアルは、奥壁の茜空に映える横浜ベイブリッジと思しき絵柄の、千切り絵調のモザイクタイル絵。夕方の美しい風景画だ。壁は淡いブルーの縞模様にワンポイントにヨットが描かれている。

三連休の最終日の月曜日、17:50から18:30に滞在。月曜定休のおかめ湯から目的地を変更し、隣湯のこちらにお邪魔した。おかめ湯との距離は600メートル余り。隣湯が休みという要因もあるのか、浴槽のどこに潜り込もうか考えなければならないほどの混雑だった。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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