差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2015年6月20日土曜日 23:15
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: よしの湯(大洲市中村)

ナカムラです。

今日(2/19)は、「よしの湯(大洲市中村)」に行ってきました。伊予大洲駅(予讃線)から、0.6キロ、7分くらいです。

別府港を9:45出る宇和海運のフェリーで海路八幡浜へ。最近就航の新しい船だったけど、車は1台も積んでいない。旅客もがらがら状態だった。まぁ、5年ほど前に乗った時も同じだったかな。

2時間半ほどで八幡浜港へ。気になる佐田岬方の保内はまたの機会にして、外装パネルの奥に看板建築が潜む八幡浜のアーケード街を散策。アーケードが尽きても看板建築の商店街が続く。

そして「大正湯」の前にたどり着く。同湯の意匠も、この商店街の延長線上なんだろうなと気付く。前で写真を撮っていたら、仕込み途中の大将が奥からわざわざ出て来て中に招き入れてくれた。営業前なので、今回は女湯も撮らせてもらう。

気になっていた男湯と女湯を繋ぐ小窓を確認出来た。柔和な笑顔の大将は、写真撮影を促すことで、同湯の”記憶”が何処かに残るようにとでも考えているのかな。勝手な推測だけど、そんな印象を受けた。

さて、今日のメインは大洲のよしの湯。前回は日没と競争するように駅から走った。そして、その時は定休日で風呂に入ることが出来なかった。今日は満を持しての再訪だ。

先ずは、川を渡って大洲城があるより古くからの市街を散策する。かなりレトロな街が化石のように風化しながらも残っている。あたり前だけど都市とは呼べないような小さな地方都市の方がイニシエ風景が残っている。しかし、既に銭湯が一軒も無くなっている所が多い。しかし、どっこい大洲には最後の一軒、よしの湯が残っている。

最盛期には、肱川向こうの古くからの市街地に3軒、駅側の新興の市街地に4軒の銭湯があったようだ。肱川を渡り返し旧道を駅方面に戻ると、途中に「みやこ湯」という屋号を残す簡素ながら洋風を漂わせる建物が残っていた。「銭湯銘鑑(昭和43年)」では「みかげ湯」となっている銭湯。るびー氏にこの建物に2つの屋号が並んでいた時代の写真を見せて頂いた。由来を深く考えさせられる銭湯だ。

さらに進むと、同湯がある新興の歓楽街エリアに入る。飲食店の名前を記したアーチなんかがあるものの、およそ若い娘は居ないらしく、そもそも8割方が灯りすら点っていない。

同湯はそんな歓楽街の路地の奥、車が切り替えしてようやく曲がることが出来る角地にある。大正9年に大将の祖父が創業。黒煙を昇らせる先が割けたコンクリ煙突に、黒瓦の破風のエントランスを有する古色蒼然とした郷愁銭湯だ。屋号は入口脇に有った2本の染井吉野に由来する。

アルミのドアを開ければ畳半畳ほどのコンクリのたたきに番台。反対側に靴棚がある。

女将さんは”ずっとこれなの”と言って客用のテレビを鏡に映った反対絵で眺めていた。相方が銭湯料金720円を支払う。

脱衣所の広さは、幅2間半、奥行2間半に1間の次の間付き。天井が唐笠天井。別府の「山田別荘」の女湯の天井がそうだったらしいし、秩父の「たから湯」もそうだった。このように、浴室の天井としては見たことがあるけど、脱衣所の天井として見るのは初めて。さらに木組み板張りの番台の周りが古風なままで残っている。

ロッカーは3段。下部に樹脂製脱衣籠を収める棚がある。アナログ体重計kamacyo。床がオリジナルなのも上質の材料が使われているからだろう。

男女境の鏡に薄くなったものの”マツダオート三輪”とある、オート三輪の販売店が提供するものだった。小生の実家の家業だった鉄工所では、このオート三輪やトラック、後には”クリッパー”と呼ばれるプリンス自動車(日産に合併)のトラックを使っていた。実家のアルバムには今もオート三輪が残っている。

さて風呂だ。浴室の広さは、幅2間半、奥行3間半ほど。天井は天板に波板が張られた2段型。島カランは無く、カラン数は外壁に5、奥壁3。床のタイルは正八角形のタイルを組み合わせたもの。壁はピンク色の小タイルに一部小豆色のものをアクセントとして散らしている。

浴槽は男女境に接した縦並びの3槽。一番奥が緑色がかった濃厚で特異なハップ湯。中央の主浴槽が白湯の深槽で42度くらい。手前の浅槽は角が扇形になっている温湯になっている。恐らく廃油によって、井戸水を沸かしている。

さらに外壁から奥壁に回り込むように電気風呂の副浴槽。昔々はシャワー室で、中将湯の薬湯槽を経て、現在の電気風呂になっている。女湯は脱衣所に回り込むように同様な副浴槽がある。脱衣所側に古い窓などもあって、ちょっと気になる構造だった。

浴室の壁は、元々全てが板張りだった。昭和29年に下部が腐ってきたので、ジャッキアップし腰高付近までブロック積みで更新している。その時に内装をタイルに変えた。

その際募ったスポンサーが、奥壁のモザイクタイル絵の両サイドに、表札のような白磁のタイルに絵とは独立し屋号が入っている。「片倉シルク号自転車/白石商會」「二宮建材店」。いずれも廃業している。天井も壊れたのだろう、元々は2メートルほど高かったらしい。

上がりは地元の瓶牛乳110円を、女将さんが内線で呼んでくれた三代目の話をうかがいながら頂く。

木曜日の18:30から19:45に滞在。寂れ切った大洲の歓楽街の路地で破れた煙突、大正時代の建物で健気に湯を沸かす。創業当時は鳴かず飛ばずだったものの、歓楽街の広がりとともに14:00だった開店とともに界隈のお姉さん方が大勢訪れるようになったという。”片倉シルク号自転車”“マツダのオート三輪”などの古い広告が残る。四方から見えるように四辻に斜めに突き出した「ゆ」という看板も郷愁を誘う。

上がりの一杯は伊予大洲駅近くの「尾張屋」。次の列車まで1時間以上。時間も遅くなったし、寒い待合室で待つのもきつい。段取りの悪さに相方も不機嫌になってきた。ゆっくりは出来ないのを承知で店に飛び込んだ。次の特急に乗る旨を告げると少し戸惑った様子。しかし、宴会も入っている中で非礼なわがままな旅人に対して優先して料理を運んでくれた。期待以上に味も良かったけど、それ以上に心遣いが心に沁みた。

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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