差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2006年1月21日土曜日 8:39
宛先: 銭湯ML
件名: 平安湯(横浜市鶴見区平安町)
ナカムラです。
今日(1/20)は、「平安湯(横浜市鶴見区平安町)」に行ってきました。
鶴見市場駅(京浜急行)から0.6キロ。6分程度です。
往路は、川崎駅からアプローチ。鶴見臨港バス(川29/入船橋循環)で7〜8分、ゴム通り※の「平安1丁目」下車。2分くらい。
今後はバス利用も多くなるかなと、何年か振りで、共通バスカードを買う。3000円で3360円分。意外にプレミアム部分が多い。
※かつて、「ヨコハマタイヤ」の古河系の横浜護謨株式会社の鶴見工場があったことによる。
同湯の直ぐ数十m先は、川崎市(京町)。付近の道は、幅があり整然としている。同湯はその角地に堂々と建っている。
後方に油井型の煙突のシルエット。脱衣所棟は黒瓦、築50数年。その前部にフロントスペースとエントランススペースが増築されている。増築部がかなりゆったりと造られている。かつては、広い立派な庭があったのかも知れない。
エントランススペースが大きいけど、普通の硝子戸があって、手動なのが意外感がある。下足箱の錠は松竹。傘立ても松竹だ。鶴見市場といえば、冨士錠の「冨士見錠製作所(横浜市鶴見区市場町)」のお膝元だけど、ロッカーを含めて、オール松竹になっている。
靴脱ぎ場から自動ドアでフロントスペースへ。フローリングのフロントスペース。やはり、やや広めの空間がある。人懐っこそうな主人が座っている。同湯はサウナがあるけど、聞くと、追加料金は不要。なかなか良心的だ。
脱衣所の広さは3間四方。フロントスペースとサウナ室にスペースを取られているので、変則的な形になっている。天井は折上げ格天井が白ペンキで塗リ込められている。さらに、壁はクロスが張られているので、風情はない。
その他、やや意匠に特徴がある壊れた黒柱時計、Yamatoのアナログ体重計、古いビン牛乳の自販機などがある。
浴室は、幅3間、奥行4間。天井は2段型ながらプラ板張り。島カランは2列で、カラン数はセンターから5・4・5・5・5・6。カランは日の丸扇の刻印がある角型。球形の照明器が男女境だけでなく、奥壁にも取り付けられていて明るい。
ビジュアルは奥壁に新しいタイプの絵付けタイル絵。あまり新しいタイル絵でいいものに出会わないけど、蓮の下の水中で魚が泳ぐ風景を淡いパステル調で描いたもの。なかなかいいものだ。
全体的に綺麗だけど、伝統的銭湯としては、風情には欠けているかな。
しかし、この場所は、かつて京浜工場地帯を支えた工場労働者が、汗と苦労、そして故郷を離れた寂しさを洗い流した場所に違いない。
風情がない分、そんなことを思い返していた。
浴槽は、奥壁側に座6点座ジェット×2、外壁側の炊出し口から、滝のように湯が注がれている。
真中の主浴槽がバイブラと電気。湯面をオーバーフローさせる、伝統銭湯としては珍しいタイプで優れた設計。電気はスイッチがあるのが珍しい。1回で30秒作動する。
センター側がお目当ての温泉槽。2人くらいの小さなもので42度強。いわゆる黒湯ではなく、「日の出お風呂センター」や「桐の湯」のような、川崎系の淡い黄褐色。左記の温泉よりもやや透明度がある。源泉を少し口に含むと若干の塩気と同湯の特徴である強い鉄分を感じる。いい湯だ。
さらに同湯のいい所は、サウナ用の水風呂に源泉が使われていること。1人用の小さなものだけど、ボウリング球ほどの石造りの注ぎ口の周りは、源泉の鉄分で錆に染まっている。水面には微かな湯の花が流れている。
サウナは6人用ほどの広さ。古いし、敷かれたバスタオルはびちょびちょだけど、源泉水風呂がいいので、サウナと水風呂を3往復ほどする。
やはり、生活銭湯派はサウナに入らないので、サウナ室内は静か。瞑想していると、やや騒々しい若者が。背中から腕に見事な彫り物がある。しばらく世話話しをすると、身体に墨を入れていると皮膚呼吸という点でハンデがあるので、長い時間は入れないということだった。なるほど・・・。女湯に向かって「ユカリぃー、出るぞぉー」と大声で叫んで、早々に上がって行った。
21:10から22:40ほど滞在。サウナと、いい源泉水風呂があると、どうしても長湯になる。でも、最近あまりサウナに入り過ぎると、湯疲れなのか翌日疲れが残るので、平日はあまり長くサウナに入らないように注意している。
上がりは、ビールが2種類ほどあり。スーパードライ250円。
22:30くらいだと、フロントには小生ひとり、閑散としてきた。
帰りは鶴見市場駅経由で帰館。
駅までの途中に立派な自由の女神が立っている。「ニューヨーク」というラブホだった。
鶴見区平安町(へいあんちょう)
[昭和2年4月1日設置] 町名の由来 昭和2年の横浜市編入の際、橘樹郡(たちばなぐん)鶴見町大字新浜町から新設された町です。川崎市の田島村と潮田町に接する地で、菅沢町の地内でありましたが、大正15年12月に区画整理を行い、浜町一丁目・二丁目を置きました。 「平安」の由来は明かでないが、川崎市の「京町」と関連して名付けたと考えられます。 町に1丁目と2丁目の字区域があります。1・2丁目の西側をゴム通りが通っています。 「横浜の町名」(横浜市市民局)より |