差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2016年12月19日月曜日 21:20
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 佐伯湯(北九州市若松区古前)

ナカムラです。

今日(2/28)は、「佐伯湯(北九州市若松区古前)」に行ってきました。若松駅(筑豊本線)から、1.0キロ、10分くらいです。

新幹線で小倉駅に行き、旦過市場近くのホテルに荷物を置いて、戸畑駅経由、若戸渡船で若松へ。

若松は来る度に寂れ度合いが増している。明治町の赤線跡を歩いていると、建物が壊された広くはない更地の後ろに、堅牢で高い煉瓦塀があった。塀の向こうはエスト本町商店街のアーケードに面していて、日曜日だというのに敷地の建物の解体作業中だった。

煉瓦造の建物だったようで油圧ショベルの周りに煉瓦が散乱している。この建物こそ福岡県で最も古い銀行建築、明治期に建てられた住友銀行若松支店だった。隣の公園はかつて住友炭鉱若松出張所だった。筑豊の石炭積出し港として栄えた若松の金融面の歴史を物語る貴重な遺構だった。

旧今泉湯、料亭の金鍋、中将湯などを見て回る。何度も経験してきたことだけど、前に入ったラーメン屋に「売物件」の看板が掛かっているのは寂しい。商店街には建物が壊され、赤煉瓦や鉱滓煉瓦の堅牢な塀だけが残る更地が増えている。

さて、町の南側にある佐伯湯へ。若松駅に通じる商店街も、日曜日だというのに開いている店はほんの僅か。余りに閑散とした光景は定休日だからか、そうでないのか判断に苦しむ。

途中、歩道橋から筑豊本線の終着若松駅に入る旧国鉄時代の気動車を見たけど乗客は無かった。戦前戦後にわたって昭和30年代後半のエネルギー革命まで、この若松駅は日本最大の貨物量を捌く駅だった。港までの広大なヤードはマンションなどに再開発され、旅客用のホームも1面2線だけに縮小、往時の面影はない。

同湯は、駅南側の低い山の裾にある。筑豊石炭の積出しに従事した港湾労働者が多く住んだという。今も風呂無しの狭小な平屋住宅や、それらを支えたのだろうモルタルのマーケット跡などが残っている。

同湯の油井型の煙突は低いけど、低い家並みの中で昔ながらに存在感を発揮している。道路に横向きに建つ建物ながら、道路側に平入りの住宅部分、その後方に銭湯部分が位置するという類例をみない独特の構造だ。

銭湯の入口は隣家との細い隙間に面している。路地とも呼べないくらいに細い。今は駐車場になっている山側にも、かつては狭小住宅と細い路地があって、裏の方からも同湯にアクセス出来たのだろうと想像される。

細い隙間の手前に女湯、奥に男湯の入口が並ぶ。番台裏の窓には木板で組まれた昔ながらの目隠しが使われている。

アルミの入口扉を開けると本当に狭いタタキと番台。下足箱は無く、反対側には靴棚が置かれている。

福岡の料金は440円。相方が2人分の風呂銭を番台に”腰掛ける”女将さんに渡す。

一人で切り盛りする女将さんは、22歳で若松に嫁いで来て58年になるという三代目。”おじいちゃんの時代”に建てられたという独特の間取りの建物は明治時代の建築だろうか。

嫁いで来た時、若松には38軒の銭湯があった。石炭の町らしく、石炭をくべて湯を沸かしていたという。時代とともに燃料は大鋸屑、現在の廃材へと移り変わる。軒数は、いつしか、鶴の湯、中将湯と同湯の3軒にまで減ってしまった。

息子さんの勧めもあって、廃業を考えてはみたものの家に風呂を造るとなるとそこそこ費用も嵩む。平成5年の中普請で建物はまだ大丈夫。平成21年に入れ替えた釜もまだ行けそうだ。月2回の無料の日には洞海湾対岸の戸畑からわざわざ入りに来てくれる人も居る。未だこの地区には風呂無しの家も多い。後を継ぐ者は居ないけど、やれる所までやろうと、顔に煤を被るのも厭わず沸かし続けている。

脱衣所の広さは、幅2間、奥行2間、天井高は1間1/3ほど。壁は木目プリントの新建材。低い天井は白の穴開き石膏ボードが張られている。ロッカーはなく、積まれた脱衣籠を使う。

内装はほぼ全て平成5年の中普請で入れ替えられたのだろう。残念ながらイニシエの痕跡は見付けることは出来ない。

その他、脱衣所には扇風機、Iuchiのアナログ体重計、木製ベンチが置かれている。

浴室の広さは、幅2間、奥行2間強、天井はプラ板張りの四角錘型で中央に湯気抜きがあるもの。壁は中判の白タイル、床はベージュ色の中判のもの。

カラン数は外壁側に6機。欠けている所もあるけど、それぞれにハンドシャワーが付いている。

浴槽は壁側に沿って、静かにお湯を注ぐ音だけがする主浴槽、非稼働のバイブラ。一番手前にもう一槽あるもののほとんど湯が入っていない。

お湯の温度は42度弱とかなり温く柔らかい。かつては山からの水を沸かしていたけど、上に家が建ち並んでからは水道に代わっている。山の水を石炭で沸かしたお湯はどんなだったんだろう。若松の繁栄と衰退。温めのお湯に浸かりながらそんなことに思いを馳せる。

ビジュアルはない。

日曜日の17:45から18:35に滞在。相客は無し。

65歳以上の一定の人に北九州市から無料入浴券が配付され、月2回は無料入浴日もある。1日20数人の客の多くは、これらの客なのだろう。

昔は山からの水だけでは足りなくなり、向かいの公園で水を汲んで凌ぐこともあった。多分、明治からの古銭湯。三代目に当たる女将が、煤けながらもなお風呂なし住宅のご常連のために薪をくべる。心にしみる郷愁銭湯だった。

帰路はすぐ近くのバス停から「渡場」行きに乗る。市街中心部を経由するので遠回りになるものの、旧連歌町入口の大正市場を垣間見ることが出来た。大正市場の奥にある木造マーケットの丸仁市場は3月下旬で閉鎖されるという。

戻りの渡船から夜の黒い海を刻む白い航跡を写していた。郷愁を湛える風景がだんだんと消え行くように、様々ものが終焉を迎えている若松が遠くなって行く。

※上野海運ビル(旧三菱合資会社若松支店)

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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                            同湯近くの古前市場と神社






                                同湯の後方の山は高塔山






                               北九州市営・若戸渡船





                      若戸渡船





                                     若松駅

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