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新中野・昭和浴場
 2016.01.16.





大久保通りは戦後の開通。青梅街道の南を東西に通る同湯の前のこの道はかなりの古道のようだ。また、昭和3年から昭和11年の昭和戦前期の地図には銭湯の煙突が記されている。昭和22年の航空写真にも写っている。戦災を潜り抜けた古豪銭湯のようだ。(建物はその後改築されていると見ている。)

同湯の水を汲んで帰る客が多い。硬度(ミネラルの多寡)とアルカリ度は、「六甲の水」とほぼ同様という。深さ充分の大きな浴槽に、透明度充分でバランスの取れた天然水がふんだんに供されている。中野界隈の銭湯の中で、お湯という点では最も優れていると思っている。

男女境の男湯側のタイル絵は洋風タイル絵だけど、女湯側は章仙画の花鳥風月の一大絵巻らしい。

同湯は、460円払うと牛乳などに使える30円の割引券がもらえる。さらに、乾式サウナはプラス100円で次回無料となるサービス券付。しかし、いつ行っても客はそう多くない。《前回訪問:2014.08.23.》

昭和浴場の前の道は、杉並区との区界になっていて杉並区東高円寺と接している。同湯の右手(地図では左手になっている)に旧桃園川に注ぐ支流暗渠があって、Googleマップなどを見ると緩やかにカーブしていた川跡に沿って家が建てられ、それが今も区界になっているのが分る。大正12年から昭和6年の改修前の桃園川は、現在の桃園川緑道ではなく、もっと北側のずっと同湯近くを流れていた。(右の地図は改修後)

(ご参考)「桃園川銭湯巡礼 その5 昭和浴場とお好み村と、桃園川速報」













古風な町の自動車工場の風景。しかし、扱う車は外車ばかりのようだ。





鍋屋横町交差点





ギャラリー冬青



”ギャラリー冬青”の1月展(1月30日(土)まで)へ、渡部さとる氏の「Demain(ドゥマン)」
を見に行き、
その足で直ぐ裏の昭和浴場に入った。

渡部さとる氏の写真を見るのも、ご本人にお目に掛かるのも初めてだった。何気ない風景写真に惹かれるのだけど、氏が山形県米沢市の出身の東北人だと知った。写真集「da.gasita」は、山形の方言の軽い相づち”んだがした”だった。小生の祖母も話していた記憶がある。

氏が人生で最初にシャッターを押した写真が掛けられていた。そういう写真が判明すること、残っていることは稀なことだと思う。




上がりの一杯は近くの「旬菜北尾」というカウンター数席とテーブル1つだけの定食屋兼居酒屋。
ひとりで来店する女性客があったり、気さくな感じの店主ひとりがやっているいい店だった。