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照の湯
(中野区中央) 2015.11.01.





同湯は、地形的には石神井川方面からもその支流の旧桃園川方面からも、坂を上った尾根上の高台に位置している。

江戸時代には、味噌や醤油の醸造や、水車利用の蕎麦などの製粉業。また、大根を栽培し沢庵などの漬け物を江戸に供給し、青梅街道を通じて江戸の食を支えた歴史がある。

近くの宝仙寺境内には、石臼の臼塚があり、旧家の擁壁には沢庵の漬け物石がはめ込まれている。旧中野町(昭和7年に旧野方村とともに東京市に編入、中野区へ)の時代には町役場も置かれるなど、戦前は中野の産業、行政、政治の中心だった。

同湯の辺りは、地主が畑に排水路を整備して開発している。昭和27年に越して来たときには既に現在の建物はあったという。後方にコンクリ煙突を従えた簡素な切妻モルタルの銭湯。昭和22年のGHQ撮影の航空写真によれば、現在の建物とは異なってはいるものの、煙突を有する建物が辛うじて判読出来る(気がする)。戦前派か戦後直ぐの創業かは不明だけど、いずれにしても、畑の中に開業した古い銭湯のようだ。

浴室の広さは幅2間半、奥行3間半。東京の銭湯としてはかなり小振り。郷愁十分な横須賀の銭湯のような雰囲気もあって、自分としては気に入っている。

浴室に足を踏み入れると微かなペンキの匂いがする。奥壁の富士山は丸山さんの「駿河湾(25.8.15.)」に変っていた。最近描かれたペンキ絵だ。

小生にとって、同湯はお湯が熱いのがの難点だったけど、久し振りに訪れると湯温がかなりマイルドになっていて驚いた。肉体的な疲労回復には熱い湯にさっと入る効用は理解出来る。しかし、重油焚きの同湯にとっては、経済的にも、今の若い客にも、この方がいいと思う。頑固なご常連が来なくなったのかなどと想像していた。

テレビではフィギュアスケートの羽生選手が始まる所。先に上がって外で風に当たっていたけど、相方から声が掛かり、再び店内に戻って女将さんらと一緒に演技を観ていた。まだ20歳。転倒やミスも多かったけど、演技の幅を広げるための熱情を感じるフリーの演技だった。

夜風も段々と寒くなって来る。11月。籠に襟巻きを忍ばせる季節になった。

《前回訪問:2013.12.22.》

【中野区】なかの物語 其の六 味噌・蕎麦・醤油・沢庵・製茶