差出人: Masayuki Nakamura 送信日時: 2008年2月10日日曜日 11:06
宛先: sento-freak@yahoogroups.jp
件名: 鶴の湯(台東区浅草橋)

ナカムラです。

今日(2/8)は、「鶴の湯(台東区浅草橋)」に行ってきました。 浅草橋駅(総武線)から、0.4キロ、4分くらいです。

恐らく、東京で最も古い銭湯ではないだろうか。。。 国土地理院のWebで戦後直ぐに米軍が撮影した航空写真を見ることができる。 その写真で東京大空襲で焼けなかった地域を判読する。

先週散歩した御徒町駅東側一帯の「台東」「小島」「鳥越」や、上野駅の東側一帯の「東上野」、 「元浅草」の一部。そして、同湯のある浅草橋駅北、いわゆる南浅草地域の「浅草橋5丁目」 辺りが戦災で焼けなかったエリアだ。火の手が直ぐ近くにまで迫ったものの突然に風向きが変 わったという。

同湯への道すがらにも出桁造りの古い商家建築がいくつかあった。同湯近くの「鈴木酒蔵」も 然り。築80年という酒屋の建物で三代目が酒場を営んでいる。暗がりで写真を撮っていると いつものように尋問が始まる。風呂入ってから来るからと言って放免してもらう。

さて、鶴の湯。入り口の唐破風が目白台・月の湯代々木・長生館湯(廃業)のように柔らか な曲線になっている。これは戦前銭湯の特徴だと思っている。その上部は大型のむくり破風で 鶴の籠手絵があって、それがライトアップされている。鶴が嘴で屋号を記した掛け軸をくわえ て飛んでいる図。なかなかユニークな感じがする。

暖簾は地の屋号を染め抜いたオリジナル暖簾。そして、扇型の刳り抜きがある塀など、風格の ある銭湯だ。ただ、ガス焚きのため短くしたコンクリ煙突は表からは見えない。

男女の脱衣所を3分割に直したフロントの女将にご朱印(朱肉でスタンプだった)を得て、こ の建物の来歴を伺う。ご常連の話として、昭和2年には既に同湯の建物は存在したらしい。

ここら辺りは関東大震災で罹災しているだろうから、年代は最大そこまで遡れる。ひょっとし たら関東大震災後の大正末期の可能性もある。千歳船橋・船橋湯(2007年廃業)が廃業した後、 同湯がひょっとすれば東京で最も古い銭湯かも知れない。まぁ、オリジナル度としては目白台・ 月の湯(昭和8年築)の方に軍配が上がるが・・・。

フロントにスペースを取られた脱衣所はかなり改装されているけど、窓枠と戦前期の繊細な感 じの模様ガラス、天井がオリジナルと見る。格天井ではなく、大ぶりの押縁天井が茶色の粉を 吹いているようで、かなりの古さを感じさせる。大名屋敷にでもあったような庭の大きな石灯 篭も昭和初期のオリジナルだ。

浴室は幅3間奥行4間の2段型。外観が風格があるので標準的な広さだけどやや狭く感じる。 島カランは1列。浴槽は深浅2槽。浅槽は3点ジェット×2で湯温は42度くらい。深槽はバ イブラで湯温はやはり42度くらい。

隣で気持ち良さそうに浸かっている相客は「板垣退助」。なかなか立派な鬚をお持ちだ。最近、 こんな風格のある鬚の爺さんは久し振りかな。

ビジュアルは奥壁に切り絵調のモザイクタイル絵。絵柄は海を走る帆掛け船でデザイン的な絵 柄だ。

金曜日の20:00から21:00に滞在。相客は板垣退助他、7、8名位。この風格の銭湯 にしては少し寂しいかな。

上がりは、先ほどの「鈴木酒蔵」。昭和18年生まれの酒屋の三代目が居酒屋を営んでいる。築 80年は経過している店は渋い。脇にある大きな金庫が目を引く。聞けば、金融恐慌(昭和2 年)の時代、銀行破綻が続いたので、この辺りの商店は自衛策としてこのような大型の金庫が あるという。「東日本橋風間商店」というプレートが付いていた。

ビール(小)、清酒・忠勇の2合徳利、こはだ酢、湯豆腐、串4本で3,300円ほど。隣のご 常連が安かったのに比べ、お品書きを見ながら注文したけど、自分なりの見積もりと差があっ た。未熟なのか、あるいは隙があったか。間違いかも知れないけど。帰り の東海道線で飲み直し。。。

●参考サイト:集落町並みWalker

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
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浅草橋駅