差出人: Masayuki Nakamura
送信日時: 2016年2月25日木曜日 22:25
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 日ノ出湯(舞鶴市字東吉原)

ナカムラです。

今日(8/23)は、「日ノ出湯(舞鶴市字東吉原)」に行ってきました。西舞鶴駅(舞鶴線)から、2.0キロ、25分くらいです。

綾部駅前のホテルを出てリレー号で昔からの舞鶴の中心だった西舞鶴駅(旧舞鶴駅)を過ぎ、日本海側唯一の軍港があった海軍の街、東舞鶴に向かう。

学生時代に初めて訪れた時は、貴賓室がある大きな駅舎や、大編成の軍用列車が停まった長大な地上ホーム、多数の引込み線がある構内が残っていた。現在の高架された小ぢんまりした駅とあまりに印象が違う。思わず駅員さんに改築前の旧駅と現在の駅の場所が異なるのか聞いた。駅の位置は同じらしい。しかし、広い構内は当然に他に転用され開発されたという。

数年前になる前回は、郊外の旧竜宮遊廓や昭和湯(廃業)を優先し旧海軍関連の赤煉瓦倉庫などを訪れていない。駅から赤れんがパークまでは1キロ余り。目抜き通りを旧軍港方向に北上した。交差する各通りに明治時代の軍艦にちなんで「敷島通り」「八島通り」など通りの名が付けられている。

旧軍の魚雷格納庫だったという赤煉瓦倉庫群の1つが「引揚者記念館」になっていた。「岸壁の母」に代表されるように戦地からの帰還というと、確かに舞鶴が想い起こされる。

しかし、当時の日本の人口の1割弱に相当する600万人(半数が兵士の復員)の帰国ための引揚指定港は19港あって、引揚者の数を見ても博多、佐世保などの方が舞鶴よりも多かった。それでなお、ここに記念館があるのは、舞鶴港が他港が1年から長くても5年ほどで指定解除された後も、最後(昭和33年)まで、13年も引揚者用の指定港だったことによる。

同館に示されている史実は戦争の過酷さや悲惨さを語っていた。いつもこの季節に思うけど、戦争は絶対に嫌だ。

途中、未だコンクリ煙突が残る旧松の湯に遭遇した後、日の出湯を目指し、10キロほど西にある舞鶴の中心地の西舞鶴駅へ向かう。

目抜き通りの商店街の中心に、洋風の銭湯では十指には入るだろう「若の湯」がある。定休日が水曜日と日曜日の週休2日に増え、今日の日曜日に、煙突から煙は出ていない。しかし、何度見ても惚れ惚れする威容を誇る銭湯だ。

さて、川向こうの漁師町、吉原の日の出湯へ。元々漁師町は若の湯近くの竹屋町や魚屋町に有った。しかし、享保時代の大火後、藩命により葭が茂っていたのだろう伊佐津川を渡った町外れ、吉原への転居を余儀なくされた。

吉原は500メートルにも及ぶ開削された長く細い水路を挟み、町全体が長屋然とした狭小住宅の集積から成っている。和舟時代には、伊根のように舟を家に引き入れていたようだ。そんな痕跡が残る家が今も残る。

奥深い舞鶴湾は、干満差が30センチほどと極めて小さい。それが旧舟小屋群が水面に接するように建ち並ぶ、水と家並みが融和する美しい光景を作っている。大袈裟に”日本のベネチア”と呼ぶ向きもあるけど、規模はさて置き頷くほかはない。

日の出湯はそんな吉原に2軒あった銭湯の最後の一軒。

同湯を含め当地の古い建物は、軒を支える肘木が雨水を想起させる雲形肘木が使われている。大火に翻弄された漁師の、火除けへの願いが込められている。

しかし、皮肉にも同湯には吉原の西半分の民家101戸、附属建物や船小屋など合わせて200余棟を焼失した”吉原大火”の忌まわしい過去がある。明治42年5月31日白昼のこと。同湯の煙突から飛んだ火の粉が、当時茅葺き屋根だった家に燃え移ったのが原因だった。

元々の経営者は大火の責めにより、この土地を離れざるを得なかったようだ。そんな経営者の何代か後、40年ほど前に初代の祖父だった方が経営権を得て、現在の大将が三代目になる。

同湯の建物は、火元でありながら焼けていない。建物は、恐らく明治時代、優に100年は超える。脱衣所の窓に連子格子を持つ銭湯というのに出会ったことがない。扇型の男湯と女湯の表示などを含め、文化財級の趣。哀愁漂う風情ある水際のロケーションといい、まがうことなき銭湯遺産だと思っている。

海に近いものの、裏の五老ヶ岳から塩分を含まない清冽な井戸水を汲むことが出来る。蒲鉾工場の移転で、長年涸れていた井戸が息を吹き返した。そんな天然の良水を重油で沸かす。

内部は綺麗に改装されている。浴室は、基本タイルにべた座り。それに何の抵抗も感じないほどの清潔さは感嘆もの。浴室の天井は古く厚い木板に淡いピンク色のペンキが塗られている。無骨な木板を眺めていると、浴室の基本的部分にはオリジナルが多く残っているのかも知れない。奥壁には釜場との応答に使われた伝声管の跡が残っている。

日曜日の16:00から17:15に滞在。本当は16:30の開店だけど、開店前に店に入れてもらい、準備が整った6:15、一番風呂に招き入れてくれた。湯温42度強の柔らかいお湯。遙々やって来て、最高だった。

15分早く入れて頂いた効果は大きく、帰路は京都駅までの直通のディーゼル特急きのさき号に乗ることが出来た。二条駅まで。今晩から3泊の予定で京都滞在。三条のホテルは相変わらず大方が外国人観光客で占められている。腹ごなしの散歩で、近くの孫橋湯と柳湯に”ご挨拶”。いずれもとてもいい銭湯。柳湯の佇まいなど、神々しいくらいだ。


《前回訪問:2008.09.13.》

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ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
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   番台の裏だけでなく、脱衣所の窓にも連子格子が使われている。





     同湯を含め当地の古い建物は、軒を支える肘木が雨水を想起させる雲形肘木が使われている。
     大火に翻弄された漁師の、火除けへの願いが込められている。










                古い設備ながら浴室の清掃の素晴らしさに驚嘆させられる。





  同湯裏の人がすれ違うのがやっとの細い道に石地蔵がまつられていた。
  生花が備えられ大切にされているのが良く分る。




                      吉原小学校に登る坂から眺めた日の出湯の煙突





        煙突も綺麗に整備され古びている様子はない。





                  同湯の斜向いの理髪店











                      西舞鶴側の船溜まり。右手に伊佐津川が流れている。






                   伊佐津川に架かる大和橋。向こう岸が西舞鶴駅方面。手前が吉原。






                               吉原の船溜まりの奥。尽きる辺り。






                                      湾側を望む













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