差出人: Masayuki Nakamura [masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp]
送信日時: 2004年5月4日火曜日 10:45
宛先: 銭湯ML
件名: 中乃湯(横浜市西区藤棚町)

ナカムラです。

今日(5/3)は、「中乃湯(横浜市西区藤棚町)」に行ってきました。
戸部駅(京浜急行)から1.4キロくらいですが、坂の上にあるので横浜駅からバスで行くのが正解でしょう。それでも、坂は登りますが・・・。
日ノ出町(京浜急行)からも距離的には同じですが、こっちはアップダウンが何回かある。

まず、黄金町の黄金橋脇の湧水を見てきました。昼間から国籍雑多な若い女性が、おいでおいでをしている。特殊な飲食街のまん中に、結構な水量の水が湧き出しています。大正時代までは、横浜港に寄港した外国船に、評判の水として積み込まれたものです。

残念ながら、今は水質的に飲むことはできないようです。それにしても、湧水の向い側にも店があり、この街でカメラを使うのは非常に神経を使う。その筋のクルマも多く止まっているし・・・。

次は、永眞カフェー街と言われた「真金町」「永楽町」。昭和32年当時の住宅地図が手に入ったので、地図と現状を比較しながら見てきました。この街は何度も足を運んでいるけど、仔細に見ても、それらしい建物はあまり残っていなかった。

美容院や理髪店が、同じ場所で営業しているのが目立った程度。48年の時の流れは重い。それに、旧平和湯隣の「鴻楽」は7月まで休業、カフェーの屋号を引き継いだ「浜の家」は取り壊されて更地になっていた。

銭湯は2軒。「平和湯(南区真金町)」は、相変らず豪壮な建物が残っている。黒湯の「永楽湯(南区永楽町)」は自転車がたくさん止まっている。繁盛しているようだった。去年入った時は気が付かなかったけど、下足箱の錠は「富士錠」だった。

さて、中乃湯。「境の谷」のバス停から急坂を登って行きます。(隣の「藤棚二丁目」の方が良かったかも知れない。)高台にある県営藤棚団地の一角にあります。藤棚団地は、旧制神奈川第一中学校(現希望が丘高校)の移転跡地に昭和24年に建設された県営団地のはしり。同湯は少し遅れての昭和27年の創業。

団地は建て替えられて、もちろん風呂付だろうけど、当時としては藤棚団地のための銭湯という機能だったと推測される。高台にあること、近くに小さな商店街や中華屋などがないこと、ちょっと立地に特殊性が感じられる。

煙突は油井型、錆び止めの赤いペンキが塗られています。正面入口は黒瓦。脱衣所棟の屋根とあわせ三角が2つ重なっている。そして、ここの掛り松がは大きく高い。入口と比べると大き過ぎる。松の木の適正サイズというものがあるようだ。

暖簾をくぐるとエントランス。天井は民家風の押し縁天井。下足箱は、上下左右交互に、青と赤に塗り分けられている。錠は女湯サイドは全ておりどり錠。男湯の方は、多くが最新の松竹横型の錠に置き換えられている。番台の後ろに、下足箱と相対するように、傘を突き刺す式の傘入れがある。

脱衣所は、幅3間、奥行3間半。天井は折り上げがない格天井(12×7)。格子は太くはなく、天板は白く塗られている。3箇所に古い照明器具の台座が残る。今は蛍光管2本の照明機が3つ下がっている。今では、この照明器も昭和中期的な古めかしいものになってしまった。

入口脇の庭のあったと思われる部分と、外壁側の縁側があったと思われる部分とを、増築して板の間にしている。外壁側などは、コンクリの塀に白いペンキを塗って、そのまま建物の外壁として使っている。こんな構造のものは初めてだ。

脱衣ロッカーは外壁側に24個。下足箱同様、上下左右交互に青と赤に塗り分けられている。錠はおしどりの板鍵。普通は錠の上部「おしどり」と刻印されているけど、その部分に「MIYASHITA」と刻印されているものがある。「おしどり」は下部に刻印されている。ロッカーはその他に浴室側に10個のロッカーが置かれている。これは松竹錠の板板。主力は脱衣籠のようで、籠を使っている年配者が多い。

板の間には島ロッカーがなく、増築により多少広くなっているので、とても広々とした空間がある。柱にはシチズンの丸時計。学校の校舎に付けられているような少しいかめしいもの。「白銀堂」と書かれている。急坂を下った藤棚の商店街は栄えているけど、そこの時計屋なのだろう。その他、冷蔵庫が2台。椅子と小さなテーブル、体重計は無かった。

浴室は、3間半四方。脱衣所の幅が3間なので、浴室の外壁は少し張り出している。そのため、つなぎ目の構造に特徴が出ている。天井は2段型。天井の白ペンキはだいぶ剥がれてきている。

島カランは2列で、カラン数はセンターから6・4・4・4・4・5。全てにシャワーが付いている。そして、外壁側に立ちシャワーブースが1つ。タイルは旧状のままかな。島カランの上は、長方形の小タイル。床は薄緑のタイルで、つなげると目地が波線になるもの。

浴槽は深浅2槽。深槽は薬湯になっている。ヘルスケミカルの「じっこう」の湯。浅槽は真中側がパイプで仕切られ7点座ジェットが2機。その他、ジェット等はない。

ビジュアルは丸山師の西伊豆。H15.5.8とある。やや大きめの富士山がいい。塗り重ねていくペンキ絵にしては、印刷されたような平滑な面になっている。恐らく、今回の絵は、かつてのペンキ絵の上にブリキ板(?)を貼って、それに描いたためと思われる。ペンキ絵って、デコボコしたものとの思い込みがあったけど、そうではないようだ。

ペンキ絵の下には、水槽が仕込んであり、鯉かな金魚かな、中型の魚がゆっくり泳いでいる。写真で見たことはあるけど、遭遇するのは初めて。なんか、魚の動きがあまりにゆっくりし過ぎていると感じた。

商店街からも離れ、人通りの少ないところにあるため、静かな時間が流れている銭湯だ。

帰りは、「西の湯(西区西前町)」「朝日湯(西区中央)」「萬歳湯(西区中央)」を経由して、戸部駅(京浜急行)まで1.4キロほど。
未訪の「西の湯」と「朝日湯」は、伝統型の銭湯だった。
西の湯の建物は立派で、朝日湯は「富士錠」だった。
近いうちに、また、戸部に来なければ・・・。

《2007.4.21.再訪レポート》




西の湯

朝日湯


(出所)横浜市浴場組合HPより。
西区藤棚町(ふじだなちょう) [昭和3年9月1日設置]

町名の由来
 昭和3年の町界町名地番整理事業の施行に伴い、西戸部町字横枕、西ノ原、稲荷台、塩田および久保町字塩田の一部から新設された町です。

昭和19年4月1日の西区新設に伴い、中区から編入されました。

町名は市電停留所脇にあった鈴木屋という茶屋の軒先にあった藤棚に由来します。町に1丁目と2丁目の字区域があります。中央を藤棚浦舟通りが通っています。
(出所)「横浜の町名」(横浜市市民局)より




西の湯


朝日湯