差出人: Masayuki Nakamura <masa-nakamura@mpd.biglobe.ne.jp>
送信日時: 2017年1月12日木曜日 21:51
宛先: 銭湯ML (sento-freak@freeml.com)
件名: 月の湯(北九州市小倉北区白銀)
ナカムラです。

今日(2/29)は、「月の湯(北九州市小倉北区白銀)」に行ってきました。

香春口三萩野駅(北九州市営モノレール)から、0.7キロ、9分くらいです。

去年も北九州を訪れ、月の湯では写真を撮らせて頂き、岩美湯では女将さんと話をして、その時は東湯に浸かった。

今回は、旧八幡製鉄所のある住宅地の岩美湯をメイン、サブを小倉の月の湯として旅程を練っていた。しかし、岩美湯はこの1月下旬に廃業された。そんなこんなで、小雪が舞い時に吹雪に変わるなか、月の湯へ向かう。

北九州の台所と言えば旦過市場が有名。市場周辺は朝でも食べるものに事欠かないので、去年、今年と市場の傍らに宿を取った。

でも、庶民の台所と言えば黄金市場らしい。緩い円弧を描く木板にペンキ塗りの低い木製アーケードの市場は、戦後の”マーケット”の雰囲気を強く残している。枯れて干涸らびた計り売り味噌屋の爺に聞いても”わからん。ずぅ〜と前からこんなだった”という長い歴史を持つ。

月の湯はそんな黄金市場に近い。商店が立ち並ぶ四つ角に看板建築的な大きなファッサード。モルタルの塗装は剥がれ、木彫の屋号表示も塗装が剥がれて結構壮絶な有様。側面には奥行きがない店舗棟が延びているので浴舎を臨むことは叶わない。煙突はかなり低いのか確認出来なかった。

建物の少し窪んだ部分に、向かい合わせに男女湯の入口ドアがある。その窪んだ部分の両脇に小タイル巻きの柱があって、頭上には屋号を記した行灯看板がほの暗く灯っている。映画「青春の門」の戦後の小倉の風景を思い出す、とても現世とは思えない光景だ。

60年位前の昭和30年代の建物という。5市合併前小倉市だった頃、旧住友金属をはじめ商工業による小倉の繁栄は、今とは比べものにならない程だった。銭湯も今は3軒の小倉北区だけで、93軒※もの銭湯があったという。同湯にはそんな昭和30年代頃の風情が強く残っている。

入口ドアを開ければ、風車模様の広いタイル敷きのタタキに板組みの大きな番台。反対側には簀の子が敷かれ、ツルカメ錠の下足箱が置かれている。北九州の冬は寒く風が強い。

着込んだ中年の大将は仕事帰りのご常連に”お帰ぇり〜”と気さくに声を掛ける。去年に続いて遠来からやって来たイカれた銭湯マニアの来訪も、嬉しいし励みになると言ってくれる。

脱衣所の広さは、幅2間強、奥行はタタキ1間を含め5間ほど。天井高は2間。壁は木目プリントの合板。天井は元々は白だったんだろう、フラットな煤けた天板が張られている。

ロッカーは、折鶴錠のオール木製激シブ扉に漢数字が記された2段の島ロッカーが縦置きに使われている。床は黒光りする厚板による板の間で、足の裏からも郷愁がじんわりこみ上げて来る。

そのほか、木製のベンチ、丸籠、古い業務用扇風機、iuchiのアナログ体重計などが揃う。

さらに、昭和中期的雰囲気全開の中、静かに昭和歌謡が流れてくる。ミコ(弘田三枝子)の「人形の家」。堪んない。

浴室の広さは、幅2間強、奥行4間、天井は2間でフラットなプラ板張り。壁は天井の高さまで小豆色の小タイルが張られている。

カラン数はセンター側に7、外壁側に6。湯桶を置く台がある関西式。下部に洗い湯を流す溝は無い古いタイプ。床のタイルは濃紺とブルーの2色。台形や小三角の組み合わせで模様を作っている。

浴槽は、センターに長方形の深浅。奥壁に接し、電気&座ジェット×3と釜場への通路を挟んでセンター寄りに冬は温かく感じる天然の井戸水が掛け流される水風呂がある。浴槽の縁はレトロな長方形の小さな茶色いタイルが使われ、内側にはブルーを基調とした小石タイルが使われている。

お湯は井戸水を重油で沸かしたもの。42度強の清澄なお湯が溢れ、その湯気がこれでもかというくらいに室内に充満している。外はちょっとした吹雪。そんな荒天でも温かい湯に浸かり、合間に水風呂を楽しむことが出来る。

特にビジュアルはない。しかし、明るさを演出する硝子ブロック積みの男女境、ちょっとデザインされた総タイル張りの壁と、質素ながら手抜かりは感じない。

月曜日の18:05から18:55に滞在。相客は、6、7人。相方は女将さんに本所大黒湯の資生堂&蜷川実花の”つばき湯”のことを聞かれている。遙か小倉の銭湯にまで評判が及んでいるようだ。1年前に仕込み途中に押し掛け撮影させてもらった月の湯。やっと、同湯の本当の素晴らしさを味わうことが出来た。

上がりの一杯は魚町のアーケードにある大衆居酒屋武蔵を再訪。通されたカウンターのお隣さんは打伏して寝ている。いつものことなのか、制服の黒シャツのお姉さんは”そろそろ起きるから”と屈託がない。小倉に来ると寄りたくなるいい大衆酒場だ。

※「全国浴場銘鑑(昭和43年)」によれば、昭和43年時点で小倉支部69軒、小倉南支部11軒。昭和40年代に工場は急速に合理化が進み、それに先立つように5市が合併して、行政も効率化を進めた。それ以前の昭和30年代、北九州には本当に数多くの銭湯があったのだろう。

*************************************************
ナカムラ (Masayuki Nakamura)
URL: http://furoyanoentotsu.com(風呂屋の煙突)
*************************************************




























































目次へ