昭和40年代後半にこの京王ストアが出来て以降、大都市場へは足を運ばなくなった。左側の道路が甲州街道(国道20号線)。後方の交差点が大原交差点のアンダーパスで、改修される前だったか改修工事中だったか、新宿方面へアンダーパスする際に並行する玉川上水の新々水路の太い鉄管を頭上に眺めることが出来た。
宇田川湯(世田谷区羽根木) 2015.07.12.
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ひと月休んだお詫びの気持ちとしてタオルを手渡していた。末長く、盛業を祈念する。
「羽根木の森」。地主の森が別荘地のように開発されていて驚いた。地元の建築家坂茂氏が手掛けている。宇田川湯から200メートルほど。
アーチ出前に有った市場の奥には「京王湯」という銭湯があったらしいが、残念ながら記憶にはない。
和田堀給水所(12)。正面の一号配水池(昭和9年築)以外、古い施設は解体され改築工事中だった。
代田橋駅前。大原稲荷神社への参道。代田橋駅のホーム下や、代田橋駅と笹塚駅の間には江戸時代に開削された初代の玉川上水が素掘りという奇跡的な姿で今も残っている。ザリガニを採ったりと昔から身近で気が付かなかったけど、かなりの文化遺産なんだと思っている。
「キモノ葉月」(Twitter)
大都市場の少し西側にある「大吉市場」。アンティーク着物屋が開店!
繁盛していた大都市場は中でL字型に曲がる小さなものだった。記憶では、大きくて、電球で明るくて、混雑している場所だったけど。
スーパーマーケット時代が本格化する前の昭和40年代前半。代田橋の京王ストアが出来るまで母とこの大都市場まで買物に来たことを憶えている。その頃から好物だったのだろう、安かった春菊の天ぷらをねだっていた。今はほとんどの店舗は廃業して、付近一帯とともに沖縄料理店で売り出しているようだ。
玉川上水新水路跡に建つ住宅群。旧淀橋浄水場までの新水路は関東大震災で壊れたため、さらに新しい新々水路は並行する国道20号線の地下に移されたために、この水路は短命に終わっている。戦後のドサクサの時代が原因なのか、旧水路だった細長い敷地だけに多少いわく有り気な、簡素な建物が並んでいる。外装はトタン張り、中央の道路を含め両側の家は旧水路の幅しか無いため、屋根は片方だけに流れる奥行きの無い家が多い。今は空き家が多いようだ。
昨日(第二かねき湯)に続き、玉川上水新水路跡の探索。和泉1丁目の新水路跡地に建つバラック住宅街を抜け、和泉明店街、大都市場、大吉市場と回り宇田川湯へ。

昭和40年 代頃のものだろうか、モルタル造の建物にコンクリ煙突の銭湯。先月8日に中島さんの手によってペンキ絵が描き直されたものの、直ぐに休業に入ったようだ。 そして、昨日再開したばかり。

暑い日に熱めのお湯に浸かり、クーラーのない脱衣所でじっくりと扇風機の風に当たる。最近、クーラーの無い銭湯は珍しいの で、懐かしい感覚を覚えた。

休業のお詫びの意味のタオルを差し出され恐縮してしまったけど、”お気持ちなので”という言葉に甘えて頂戴した。

確か、同湯の 大将と父は知り合いだったと思う。訪れるのは10年振り以上。

同湯の先の大地主の屋敷の森が、まるで別荘地のように美しく開発されていたのに驚かされた。

《前回訪問:2003.11.01.》