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大井町・東京浴場
 2016.05.29.







ナカムラです。

今日(5/28)は、「東京浴場(品川区大井)」に行ってきました。
大井町駅(京浜東北線)から、0.8キロ、9分くらいです。

日曜日の午後、明るい時間帯に入りたい銭湯はどこかなということで、大井町の東京浴場へ。2004年の恐らく金曜日の夜、会社帰りに寄って以来12年振りになる。

大井町は、高校生の時に写真を撮りに訪れからというもの、小生の感性に合う長年惹かれる街。だいぶ変わったけど、夏目雅子と渡瀬恒彦主演の「時代屋の女房」に再開発前の様子が映っている。

旧国鉄の大井工場がある鉄道の町だと思っていたけど、大正時代末から昭和初期に開発された、五反田あたりから続く東京の新興工業地帯だったようだ。駅北側だけで、潜望鏡や測距儀の日本光学工業(現ニコン)、戦車の三菱重工、鐘紡(旧後藤毛織、1953年以降工場附属のビルが阪急百貨店に転用)、三菱鉛筆などの工場が置かれた。

戦後の民生ニコンのスタートとなり世界の戦場を記録した「ニコンI型(昭和23年)」が造られ、米誌に”ついにニコンは、一眼レフ35mm高級カメラの分野で主導権をとった”と言わしめた銘機「ニコンF(昭和34年)」に繋がって行く。つい先頃、古い工場建物は解体されてしまったけど、すべて光学通りを通った大井町の技術者が開発したものだ。

10年来の友人から曾祖父が日本光学の創業社長だったと伺ったことがある。同社は三菱が中心となり東京計器(光学計測)、岩城硝子(レンズ材料)、藤井レンズ製造(光学レンズ)の事業部門が合わさって創業した。でも、彼の使っているカメラはペンタックスだったかな。

さて、東京浴場。同湯は立会川(暗渠)の谷に位置する大井町駅から、光学通りという河岸段丘の緩やかな坂道をニコンの大井製作所へと登って行く。

この通りはかなりの古道で、大井町駅周辺に何もなかった頃から品川と馬込方面を結ぶ道として存在していた。旧大井村の鎧ヶ淵などと呼ばれていたあたりを通り、坂を登り切った三叉路に同湯は建っている。

昭和22年の航空写真を見ると、空襲で焼き払われたとおぼしき一面の原っぱの中に、ひときわ大きな銭湯の建物と煙突が写っている。ドーリットル隊の東京の初空襲で被害が大きかった大井町。同湯は軍需工場に囲まれながらも、奇跡的に戦火を潜り抜けたようだ。

しかし、中庭を囲むロの字型という際立った特徴を持つ今の建物とは違う。少なくとも60年は経過しているというから、戦後の混乱期が一段落した頃に、戦前の建物は建て替えられたのだろう。

現在の建物は、千鳥破風を戴く平入りの黒瓦の脱衣所棟に、威風堂々の唐破風のエントランスが付く。煙突からは微かに黒煙。掛かり松が優美だ。さらに、三方の破風には彩色を施した飛鶴の鏝絵がある。ブラボー!!

中に入れば、ロビーと脱衣所の双方から鯉が泳ぐ庭池を眺めることが出来る。扉はフルオープン。5月の風が心地いい。

久し振りの東京浴場はやはり裏切らない。女湯の浴室との間に庭池があって、天井まで全面が透明ガラスになっている。下部は水槽のようになっていて、魚が泳いでいる姿を見ることが出来る。外壁は硝子ブロック積み。角地ということも加わり明るい浴室だ。

天井はフラット。鎧戸をはめ込まれた喚気口が2つほど。中庭にスペースが取られているので浴室の幅は2間半ほどと少しだけスリム。

これらの構造は、千石のおとめ湯(廃業)と同じ。同一の経営で立会川の上流に位置する西小山の東京浴場(今はビル銭湯)の建物も写真で見る限り同じ構造だったようだ。

お湯は42度強。昔ながらの湯船に浸かって、風に当たりながら、中庭は勿論、脱衣所越しに前栽を眺めることが出来る。副浴槽はぬる目の薬湯&バイブラ。

ビジュアルは、奥壁に鈴和建設のオハコの写真による箱根芦ノ湖。ちょっとくすみが目立つ。

日曜日の18:00から18:50に滞在。日が長くなり外に出ても明るい。やはり夕空に映える堂々とした同湯は素晴らしい。

上がりの一杯は沼津港の魚を売りにする「ひなの家」。日曜日だからか混雑もなく、ゆったりと美味しい刺身、富士宮やきそばなどを頂く。今日は注文しなかったけど、静岡おでんも食べることが出来る。

2軒目はハモニカ飲み屋街で友人がやっている昭和歌謡のミュージックバーへ。カウンター3席のみの4坪ほどの店で、ラフロイグのロックを飲みながら、これでもかというほどに懐メロのリクエストをお願いした。因幡晃、鈴木一平、下成佐登子、伊藤敏博。思い余って家に帰ってからも昭和歌謡ナイト。

《前回訪問:2004.05.07.》


※昭和43年の全国浴場を見ると「東京浴場」は品川区に2軒、大田に2軒。うち、品川区の2軒と大森西の東京浴場は同一の経営者だった。
 東京浴場(品川区西小山)
 東京浴場(大田区大森西)1984年11月2005年5月



 大井町・朝日湯(廃業)大井町・花の湯(廃業)大井町・大盛湯


















三方の破風に飛鶴が描かれている。











浴室の天井はフラットでベンチレターがある。建物がロの字型なので、この4本の湯気抜きは全て男湯のものだろう。





先代の阪急百貨店(1953年開店)は、鐘紡の工場事務所を転用したものだった。





阪急大井町ガーデン





光学通り











立会川(暗渠)の谷間からの坂の途中は再開発されるようだ。











古道から立会川(暗渠)方面は坂になっている。煉瓦塀の屋敷(?)跡があった。





同湯の直ぐ近く。19:00に風呂屋から出たら既に暖簾は仕舞われていた。











木造アパート街の夕景





”銭湯”に読み間違える居酒屋





上がりの一杯は沼津の魚で。